第2章
| 夕暮れ時、目当てのケーキ店の前で都筑は立ちすくんでいた。 冷たい空気が肌に刺さり、今の心境を更に煽っていた。 「どうしよう…」 ぽつりと呟く。 巽と過ごせるひとときがどうしようもなく嬉しくて、待ちきれないと言わんばかりに飛び出してきた。 二人で一緒に食べようと以前から目星を付けていたケーキ。 ウィンドウ越しに見えたそれを横目に、大きく嘆息すると手にしていた財布に視線を移す。 再度中身を開いてみるが、いきなり札束が現れる訳でもなく… 「やっぱり足りないよなぁ…」 ガックリと肩を落としながら財布をポケットに仕舞った。 そう…都筑がケーキも買わず、項垂れている訳。それは------金が無かったからなのだ。 元々金銭管理が皆無に等しい都筑は、巽に散々注意を受けても治る傾向は全く無く… 結果------何とも情けない事態を招いてしまったのだ。 「どうしよう……これじゃあ、花買うどころじゃ…」 何度目かの呟きを漏らす。 別に、ケーキを持って行かなくても不都合は無いだろう。『楽しみにしてますよ』と囁かれた言葉が耳に痛いけれど…巽の喜ぶ顔が見たかったけれど仕方が無い。 呆れた表情で小言を告げ始める巽の顔を思い浮かべると、ふるふると頭を振った。 仕事帰りには見えない装いで、邑輝は家路へと向っていた。 大きなバラの花束とケーキの入った袋を手に持ち、着慣れた白いスーツにコートを纏う姿は道行く人の視線を一心に浴びていた。 「おや…?」 足を止め、自分に向けられた視線の間を抜けると、立ちすくむ見慣れた姿を見つける。 顔は伏せていたが間違う筈は無い。追いかけ、奪い、引き裂き…心も躯も壊したい。 ずっと想い続けていた『イトシイヒト』の姿------ 偶然とは思えない再会に心が踊るのを押さえると口元に薄っすらと笑みを浮かべ、ゆっくりと都筑に近付いて行った。 「お久しぶりですね…都筑さん」 不意に声を掛けられ、都筑はビクッと体を竦ませた。 聞き覚えのある、深く…心まで見透かされるような優美な声の主へと顔を向け、都筑は大きく身じろいだ。 「ッ…邑輝!…な、なんでお前がココに居るんだ!!」 どうしてコイツが目の前に…心の中で呟き、キツく唇を咬む。 邑輝一貴……巽と過ごすこの日に一番会いたくない相手だった。 巽の想いと自分の想いが結ばれても埋まる事のない、闇に潜む深い傷を都筑は邑輝と通じる事で補っていた。『決して愛情なのでは無い』と何度も心に刻んでは、その身を曝け出した事も何度かある。 そんな自分を卑怯だと責めながら切れない関係を続けている都筑が、巽と過ごす日だけは絶対に邑輝と逢うのを避けていたのだ。 「会っていきなりその言葉は無粋ですよ。こう見えても普段は真面目な医者でして、ほら通勤帰りに見えませんか?」 花束に顔を寄せクスリと笑うその姿は、どう見ても通勤帰りのサラリーマンとは考えられない。ましてや医者なんて、天地がひっくり返っても思えないだろう。 「見えるかッ!大体、何だよその花束に紙袋は……あっ、その袋って…」 まくし立てながら邑輝の持っていた紙袋に目を遣ると、急に声のトーンを和らげた。 紙袋に印字されたマークは、間違い無く二人の後ろに建っているケーキ店のもので、同時に都筑が買い損ねた店の袋でもあった。 そんな都筑の変化に瞳を揺らし、興味を覚えた邑輝は袋を軽く上げると都筑の目の前に見せる。 「これですか?…いえ今日は私の誕生日でしてね。職場の看護婦達がプレゼントだとくれたんです。」 「誕生日?今日が…」 知らなかった…いや、知る筈も無い。邑輝の口から誕生日は何時だとか自分の産まれた日がどうだとか、そんな会話は全くと言っていい程無かったから。 都筑は、見せられた袋から視線を外し小さく息を吐いた。 「この年になって誕生日も何もありませんが。…都筑さん、宜しかったらこれ…差し上げましょうか?」 「えっ!?…何で?……悪いからいいよ」 驚きを隠し切れず瞳を見開いて邑輝を見るが、直ぐに首を小さく振って拒絶した。 ケーキは欲しい。そりゃもう喉から手が出る程に。でも…邑輝から貰ったケーキを巽と食べるには余りにも心が痛む。それに折角プレゼントされたケーキを自分が貰っては、看護婦達に申し訳無いという気持ちもあった。 「遠慮するとは、都筑さんらしくもない。どうせ捨てようと思っていた物です、受け取って頂けた方がケーキも浮かばれるでしょう?それに…見たところ、貴方は未だケーキを買ってはいない。でもケーキは欲しいと思っている…」 「うッ……」 返す言葉も無く項垂れる都筑に、追い討ちを掛けるように邑輝は言葉を続けた。 「大好きなケーキ店を前にして買わずにいる理由なんて聞くつもりはないですが、欲しいのでしょう?ケーキ…」 袋を目の前でちらつかされ囁かれた言葉に、残っていた理性は崩れ去り…残るのは目の前に差し出された目的の物が欲しいと言う欲望だけだった。 巽には…内緒にしちゃえば良いんだし。俺だって折角の食事時に小言を言われたくないし…邑輝がああ言っているんだ。捨てるなんてケーキが可哀相だし… 第一…会わないって思っていた邑輝に会ってしまったんだ。この際、ケーキを貰うくらい構わないよな… 心の中で幾つもの言い訳を考えながら、都筑は小さく頷いた。 「本当に…くれるのか?あ、あのな…お前と一緒に食うってのは出来ないんだぞ。持って行かないといけない物なんだから」 「ええ、構いませんよ。貴方のお好きなようにして下さって。…但し、タダで差し上げる訳にはいきません」 邑輝は眼鏡を軽く上げると冷笑を浮かべ顔を寄せて囁いた。 耳元に掛かる息に擽ったさを感じ、僅かに身を捩りながら動揺の表情を浮かべると都筑は慌てて言葉を繋いだ。 「だっ…今日はダメだ!俺、8時から約束があるんだ。だから…」 顔を赤くして口に出した言葉に、邑輝は可笑しそうに口元を歪めた。 「まだ何も言ってませんよ」 「だ…お前の言いたい事くらい直ぐわかる!」 正直過ぎる反応は、自分の心を何倍にも膨らませ楽しませる事を都筑は今だ気付いていないのか、それとも単なるバカなのか… 笑いを堪えつつ、瞳を細め穏やかな表情を浮かべながら、邑輝は持っていた紙袋を都筑に手渡した。 「誕生日…私の誕生日を一緒に祝って貰いたいだけですよ。8時まで未だ時間はある、少しだけ私の為に時間を頂きたいだけですので」 「へ…?あ、ああ…何だ、そっか」 意外な返答に唖然とする都筑の手を引くと、慌てて都筑も邑輝に合わせて歩き出す。思っていた事と違う条件に安堵し素直に付いて行く都筑に、前を歩く邑輝が氷のように冷たく妖しい笑みを浮かべている事など気付く筈も無く、この後に起きる悪夢(?)に引き摺り込まれるのであった。 |
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