空に舞う花

またいない・・・

巽は部屋の片隅の席を見て溜息をつく。

朝も遅刻してきた上に、午後も始まったばかりだ。

きっと何処かで居眠りをして自主的に昼休みを延ばしているのだろう。

困ったものだ、と小さく呟いた。



春 花の季節

此処は年中桜が舞う所だが この時期は地上でも桜が咲く

桜は日本人の多くが好む花だが

桜を哀しい目で見つめる人もいた。

そしてそれは身近にいて、自分の心を惑わすのだ。

窓際に立って薄桃色に煙る中庭を見つめる。

朝、顔を見たときは笑っていた。

眠そうな目と寝癖の付いた髪

いつもと変わらない姿。

でも・・・もしかしたら・・・と思わないでもない。

都筑は嘘が上手い。

比較的どうでもいいことはすぐ分かるが

本当に知られたくないもの

隠し通すと決めたものは、絶対に悟らせない。

そのことで半世紀前にどれだけお互いに傷つけあったか

その辛い思い出はいつも心の奥底に横たわっていた。



ふーっと息をついて時計を見上げる。

2時を回っている。

さすがにこのままでは・・・と思いドアの方へ行きかけたとき

コンコン・・・とノックの音がした。

「はい」

返事をすると、少しだけ間があって、ゆっくりと扉が開いた。

「えっと・・・」

ひょこっりと黒髪が揺れた。

大きな瞳が中の様子を伺うようにキョロキョロ動く。

「課長は?」

「・・・今日は昼から会議です。今日は戻りませんよ」

「そっかー」

良かった・・・と言いながら、部屋に入ってきた。

「良かった・・・じゃないでしょう、今何時だと」

「ごめん、ちょっと寝てたら時間が経っちゃって」

「ちょっとねえ・・・」

ゆうに1時間は寝ていたに違いない。

都筑の様子に何処か安堵しながら、どれだけの残業を押しつけようかと

巽は目の前のファイルの山を見た。

「今日中には帰れないと思ってくださいよ、これと・・・あ、これも・・・」

まだ後日でも良いかと思っていたものも渡してしまおうと書類を揃え始める。

「はい、どうぞ」

「えっ!?」

突然目の前に桜の枝が差し出された。

「これは・・・・折ったのですか?」

「ち、違うよ!」

大きく手を振る。

「昨日の風で折れちゃったみたいで落ちてた」

それはまだ蕾があり、2、3輪花をつけた30cmほどの枝。

裂けていた枝は刃物で綺麗に揃えたから・・・と

勝手に手近な花瓶にそれを挿す。


その様子を見ながら・・・巽ははっと気付いた。

風・・・強風・・・それはもしかしてここではなくて・・・

「都筑さん、あなたまさか上に・・・」

その言葉にふっと笑って都筑が振り向いた。

「巽・・・大丈夫だよ。ほら、こうやってちゃんと戻ってきているし」

そして甘えたように巽の肩に腕をかける。

そうされると巽も都筑の身体に手を回してしまう・・・

もう長い間の条件反射のようだった。

瞳を見つめる・・・・少しだけ時間が止まったような気がした。

巽は続けたい言葉を今は飲み込み

少し首を傾げて見つめてくる都筑の唇に自分のを重ねた・・・。





「3時・・・回っちゃったね」

ようやく少し汗が引いた都筑が時計を見て小さく言った。

「・・・私も残業ですよ」

気が乗ったとはいえ、自分でも情けない。

しかし・・・・どうしても勝てなかった。

そんなことの繰り返しだ。

巽は汗で濡れた都筑の前髪をそっと払ってやる。


「あ・・・ね、見て巽」

都筑が身体を少し動かした為にソファが軋む。

巽が都筑の顔が向いた方向を見ると

さっき挿した桜の花がまた一輪綻んでいた。

「さっき蕾だったのに・・・」

「・・・・此処は外に比べれば暖かめですからね」

「そっか・・・でも咲いちゃうと早いかもね」

散るのが・・・

ぽつりと呟く都筑の声に巽は視線を戻す。

さっき言いかけた言葉・・・でもそれは触れてはいけない気がする。

でも何か言いたい・・・伝わるのならば・・・。


「あなたは・・・・散らないでくださいね」

そんな言い方をした・・・これが近いのか遠いのか分からない。

でもそれは唯一の願い・・・のはず。



その言葉に一瞬都筑の目が揺れて・・・そして微笑んだ。

「巽・・・気障だね」

そう言って巽の顔を引き寄せた。

温かい感触が唇に触れた。



また微笑みに願いがかき消された・・・そう巽は感じた。

窓の外では無数の花びらが舞っていた。

■2006・5・1■
日生 舞