空に舞う天使
| トントン・・ 少し控えめのノックの音に巽は顔を上げた。 「どうぞ」 そう答えると、少しの間がありドアが静かに開いた。 「おはようございます」 顔を出したのは課内で一番年若い職員だった。 「おはようございます」 巽は少し微笑んで挨拶を返す。 「あの・・・・・都筑がまだ来ないんですが・・・」 言おうか言うまいか・・・の迷いが見える言い方だった。 「・・・そうですか」 小さく溜息をつく。 何時か分かっているのに壁の時計を見上げてしまう・・・・10時過ぎ。 やっぱり・・・という思いが巽の胸をよぎる。 でも昨日のやり取りではもう大丈夫かと思っていた、明るく笑っていたから。 「俺・・・ちょっと出てきてもいいですか?」 その問いに彼に目をあわせる。 「仕方ないですね・・・まだ寝ていたら叩き起こして来てください」 苦笑まじりに巽は答えた。 たぶん今日のことを気にしているのであれば家にはいない・・・そんなことはふたりとも分かっていた。 でもそのことはあえて口にはしない。 後は任せる・・・そしてとにかく夕方までに此処に連れてくること・・・。 「はい」 短く答えて軽く頭を下げ、背を向ける彼を見送る。 巽は軽く目を瞑って再度ため息を漏らした。 この役目は自分ではないと思っている。それは間違いはないと思っている。 半世紀以上かけて導き出した答えだ、それが正解かどうかは分からないが今の自分にはそれ以外なかった。都筑が求めるもの・・・そして巽が求めるもの・・・互いの間に大きな埋められない溝があるのは誰よりも2人が分かっていた。 それでも互いの視界にいることを望む以上必然的なルールは生まれる・・・そういうことだ。 時折自分を見つめる目が不安定に揺れているのも気付いている。 それに負けて抱きしめてしまうこともある。 廻された腕が嬉しいと思うことも・・・でもやはりそこから先が進めない、都筑の全てを抱え込むことは、支える強さは自分にないと分かっているから・・・。 それに・・・今は密の存在があると巽は思った。 彼の存在が自分たちの場所も変えてくれる・・・そんな期待もしていた。密には迷惑なことなのかも知れない、中途半端な自分たちに関わることが彼を傷つけるかも知れない。 でもそれでも彼には自分にない何かを持っていると思っている。 巽は寂しげな微笑みで窓の外を見つめた。 とにかく今夜のパーティーは都筑がいないと始まらないのだ・・・。 「お兄ちゃん、なにしてるの?」 公園のベンチに座っていると何処から来たのか、女の子がいた。 都筑はふっと微笑む。 「んー? 鳩を見てた」 「ふ〜ん」 「君は?1人?」 「うん、今からお家に帰るの」 「そう 1人で大丈夫?」 「うん、だって・・・あそこだもん」 そう言って女の子は公園の隣に立つマンションを指さした。 「風船をね、貰いに来たの」 「風船?」 公園の入り口で風船を配っている車を女の子は指さした。 何かのキャンペーンだろう、多くの人が子どもを連れてその車を囲んでいた。 「2つ貰ったんだ?」 「弟と私の分、弟はまだ小さいからお外に出られないし」 「そうなんだ」 「お兄ちゃんはいらないの?」 「あはは・・・そうだね、風船は好きだけど・・・一応大人だしね」 本当の年齢なんて数えたくもない程の・・・。 「ふ〜ん」 納得したのかしなかったのか、複雑な顔をする女の子にまた微笑んだ。 「早く戻らないと、お母さん心配するよ?」 「うん」 「弟も待ってるんだろう? 風船」 「うん」 「ん?どうかした?」 頷きながらもその場を動かない女の子に首を傾げる。 「ねえ、お兄ちゃん、なんで泣きそうなの?誰かに苛められたの?」 「え・・・」 都筑は驚いてその子をじっと見つめてしまった。 「あの・・・」 「お兄ちゃんすごく悲しそう・・・」 「・・・・」 まっすぐ大きな目に見つめられた言葉に動けなくなる。 悲しそう・・・その言葉が胸の奥底に響いた。 今年も同じくこの日が近づくにつれて色んな感情が入ってきた。 でも昨夜からは逆に割と落ち着いてきたと自分では思っていた。 『・・・大丈夫ですか?』 優しい目で腕で自分を抱きしめてくれた巽に慰められた。 プレゼントなんてないからな!と密は文句を言いながらも、なにやら亘理達と話しあっているのを知っている。 若葉ちゃん達も楽しみにしていてね!と笑ってくれた。 誕生日なんて・・・と思いつつも、みんなの気遣いが嬉しかった。 今日は少しだけ寝坊をしてしまって、勝手に昼からの出勤にしようと決めて地上に出てきた。 晴れた空、白い雲、そしてどこからか聞こえるみんなの生活の音・・・それに包まれて穏やかに過ごしているつもりだった。 だから女の子からそんな風に言われてしまうことが意外だった。 でも・・・・・ 「悲しそうか・・・」 ふっと鳩に目を戻す。 「うん・・・そうかもしれない」 どんなに抱きしめられて言葉を与えられても、いっぱいにならない自分の中の空洞。 自分でも嫌になるほどの深い深い・・・。 こんな想いを抱えてどれくらい経つのか・・・あの時断ち切るつもりだったのに、何故また時を刻んでいるのか・・・いつも襲われる感情だった。 あんなに自分を思ってくれる人たちに応えられない自分がもどかしかった。 「お兄ちゃん・・・・はい」 「・・・・え?」 差し出された風船に顔を上げる。 「これ、あげる!」 「・・・・ダメだよ、これは君と弟のだろ?」 「うん・・・でもいいの、これあげる!」 「だから・・・」 「弟はまだ赤ちゃんだから、これを一緒に見るから!お兄ちゃんは泣きそうだから!」 「・・・・・」 「泣いちゃだめ!これあげるから・・・笑って」 「・・・・・」 ダメだ、本当に泣きそうになる。 「ありがとう・・・でもね」 「でもねじゃない!はい!持って!!持たないと飛ばしちゃうよ!」 「えっ!?」 ぱっと手を離すのを見て、慌てて風船を掴んでしまった。 「あげたから!」 「あ・・・でも」 「でもはダメ!」 ぷーっと頬を膨らます様が可愛くて、少し笑ってしまった。遠い昔こんな風に怒られたことがあったような気がした。不思議だ・・・泣きそうになった涙がひいていく。 「ね、風船、いいでしょう? お兄ちゃん笑ったよ」 ・・・君に笑ったんだけど・・・とは言わない。 「うん・・・・そうだね」 ・・・そうだね・・・それでも笑った方が良いよね。 自分に笑いかけてくれる人がいる・・・それはとっても大切なこと。 「私もう帰るね!」 笑った都筑に安心したのか女の子は急に思い出したように駆け出す。 「うん、気をつけて・・・・ありがとう」 貰った風船を掲げる。 「ばいばーい!!」 手を振りながら転がるように走っていく女の子を見送った。 都筑の手にはピンクの風船が残された。 「いつまでそんな寒い格好で立っているつもりだ、このバカ」 後からかけられた声に都筑が振り返る。 ジーンズに手を突っ込んだ密が歩いてくる。 いい歳をして・・・とぶつぶつ言っている。 「見てた?」 「ああ」 「可愛い子だったね」 「そうだな」 「俺、風船貰っちゃった」 「・・・お年寄りは大切にしないといけないからな」 「密ぁ・・・」 「実際爺さんだろ、お前は」 「・・・・それはそうかもだけどさ・・・でもさ、ほら、見た目はさこう・・・」 「じじいだ!」 もうなんだよ!と文句を言う都筑を密は少し伺うように見つめた。 「ほら、帰るぞ!」 歩き出した密の横に慌てて並んで歩き出す。 「あ、そうだ!密、なんでここに? まさか密も寝坊して・・・」 ばしっと頭を叩かれた。 「お前と一緒にするな!仕事が山積みなんだよ!自主的に休みを取れる立場か、お前は!」 「痛いよぉ〜」 「お前、帰ったらお説教間違いなしだな!」 「え? やっぱり巽、かんかん?」 「怒らない理由はないと思うけどな」 密が睨み付けると、都筑はバツが悪そうに目を反らす。 「あ、そうですね・・・・はい」 今から戻ったらどれくらいまで、あの文句を聞かないといけないのだろうか・・・きっとその後はあの山のような書類を片づけないといけないのだろう。分かっていたこととはいえ、気が滅入る。 「風船・・・」 「え?」 「それ、持って帰るのか?」 「うん・・・せっかく貰ったものだし・・・・今日は・・・」 いったん言葉を切る。 「今日は誕生日だしね」 そう誕生日だ。 まるでプレゼントみたいだ・・・と、ふわりと都筑が笑った。 一瞬、密の歩みが止まった。 「・・・本当に寒い図だな」 短く答えて背を向ける。 その背を見て都筑は微笑んだ。 「密も風船好き?」 「なに言ってんだ、バーカ」 お前と一緒にするな!そんな文句が聞こえてきた。 「・・・でも・・・・・ありがとう密・・・」 ・・・迎えに来てくれて・・・言葉にしない想いをいつもありがとう・・・。 その言葉に密は振り向かなかった。 「おはようございまーす!」と戻ってきた都筑に 「おー今頃、主役登場かあ?」と振り返った亘理と、声を聞いて早速文句を言おうと課長室から出てきた巽は風船を持った都筑に少し固まった。 ”!?・・・に、似合いすぎる・・・しかし・・・これは一体” ピンクの風船を持った黒づくめの男にかける言葉がない。 「あれ? どうしたの?」 動かない2人を見て都筑が言った。 2人の目が説明を求めて密に動く。 「え?・・・あ、俺じゃないですよ!」 ぶんぶんと首を振る、冗談じゃない! 「あ?これ?いいだろう? 貰ったんだよ!」 「・・・・貰った?」 亘理が聞き返す。 「うん 貰ったんだよ・・・・・天使に」 そう言うとすたすたと自分の席の椅子に風船をつけた。 「天使?」 「そう、だって今日は俺の誕生日だからね!」 笑って都筑が言った。 ・・・・巽が少し意外そうな顔をして都筑を見る。 都筑も巽を見て、そしてまた笑った。 ・・・心配かけたね・・・ごめんね・・・ そんな想いを込めて。 まだ心から・・・なんて出来ないし、出来る自信もないけれど、でも今は皆の気持ちに少しでも応えたい。それがいつも自分を見つめて、気遣ってくれる皆への感謝の気持ちだ。 だから今は笑う。 「・・・・午前中の仕事の分、片づかないと予定していたパーティは中止です」 ふっと、眼鏡を指で押しながら巽が言った。 どうやらいつもの自分を取り戻したらしい。 「えええええ?!」 「うひゃあ、こりゃ大変や」 面白おかしく亘理がからかう。 「でもでも若葉ちゃんとかが準備してくれるって!」 「食材はどうとでも他にまわせますからね」 「そんなあ〜!」 「自業自得だ、バカ!」 後から聞こえる密の呟きに慌てて、都筑は振り返った。 「ねえ!密も手伝ってくれるよね!」 「い・や・だ」 「そんなパートナーなのに!」 「これはお前の仕事だ!俺の分は終わってるんだよ」 「そんなこと言わずに、ね?ね?」 「都筑さん、さっさとやってしまいなさい!本当に中止しますよ!」 「え?でも今からお昼・・・」 「知りませんよ」 「そんな!ひどいよ巽!」 「なんですって?」 その後はいつものやり取りが続いて・・・・ ・・・・午前中の重苦しい空気が晴れていく。 いつもの喧噪が部屋に充ちていく。 それは誰もが心地いい。 ”ありがとう!” 今日はこの言葉を沢山言いそうだな・・・文句を言い続けている巽を見ながら、そんなことを思う都筑だった。 少しだけ・・・誕生日も良いかも知れない・・・そう思える自分が嬉しかった。 風船がそんな都筑を見つめて揺れていた。 Happy Birthday・・・・・・v |
■2006・2・24■
日生 舞