―――わくわく動物らんど―――


  

「何怒ってるんだよ」
「・・・」
都筑が提出した書類を一言の返事もなく、巽は受け取った。
今朝から巽の機嫌がすこぶる悪い。特に珍しくもない事だが、今回の事態は都筑には不可解だった。
最近は書類の不備も提出遅れもさほどない。
召還業務は近頃は少なく、あっても大して梃子摺った事はなかった。幸い物も壊さず済んでいる。
遅刻、居眠りはするものの、普段と比べ突出して酷い状態になっているわけではない。
つまり、いきなり巽の機嫌を損ねるような特別なしくじりに全く心当たりがなかったのだ。
それなのに。
「何で何も言わないんだよ!」
理由を問い質そうとしても、巽は黙ったままパソコンの画面に向かっている。
眉を寄せ、口元がややへの字に曲がった表情。
・・・これは。
「何、拗ねてんだよぉ・・・」
意固地な子供の様に、巽は、拗ねているのだった。
こういう態度は、都筑絡みの事で、都筑に対してしかとらない。
それは巽の無意識の甘えの裏返しで、それを理解している都筑は少し嬉しさを覚え、そんな巽を可愛いとも思ってしまうのだけど。
理由もわからないままこんな態度をとられ続けるのはやはり戴けない。
再び問い質そうとした時、巽が先に口を開いた。
「・・・あんた、総務課で何したんですか?」
「は?」
巽は都筑に向き直った。
「昨日、午前中に総務に行ってたでしょう。そこで何したんです」
「何って・・・巽が行けって言ったんだろ。俺が手が開いたから、書類出しに行ったり取りに行ったり
巽の使い走りで」
「だから、そこで何やらかしたんです?!」
巽の口調がややイラついたものになる。
「何もしてないよ!巽に言われた仕事以外。そりゃ、総務の人達とちょっと喋ってたりしたけどさ、さぼってたって言われるほどじゃないぞ!もう、何なんだよ!埒が明かないよ。俺には巽に拗ねられるような心当たりないぞ、マジで!ちゃんと説明しろ。でないと俺の方が切れるぞ!」
都筑もいい加減痺れを切らして、強い調子でまくし立てた。
ふーっ、と一つ深い溜息をついて、巽は長い指先で眼鏡の位置を直した。
「・・・あんたのとんでもなくイヤらしい行動を目撃した、と総務課の男共が話してたんですよ」
「イヤら・・・何それ・・・」
あっけに取られる都筑に、巽が説明した。

先日の午後の休み時間。
廊下を歩いていた巽は、仕事の件で話したいことがあった他の課の課長に出くわし、その場で話していた。そこは自販機などの並ぶ休憩スペースのすぐ近くで、複数の職員がお喋りしたりお茶を飲んだりしながら寛いでいた。
不意に、その職員達の会話に「都筑さんが―――」という言葉が登場し、反射的に巽はその会話に耳を欹てた。
「昨日、総務に来ててさ―――」
「―――を手にとって―――したり―――」
「くうう〜、俺も見てえ!」
「もう俺、ゾクゾクしちゃってさあ―――」
「こっそり、携帯のカメラで撮っちゃったんだよ―――」
その場に居た者達がどよめくのが背中越しでもわかる。長椅子や並んだ観葉植物の大きな植木鉢、そして自分が今交わしている会話に邪魔されて、その内容は不明確にしか聞き取れない。
自分から始めた会話を、他課とはいえ上司相手に勝手に打ち切るわけには行かない。内心の動揺を、無表情で完璧に抑えてはいたものの。
「うっわ、すっげ―――・・・」
「やばすぎだよこれ」
「俺も欲しい、これ!」
「俺も!待ち受けにする」
「当分仕事中思い出して何も手につかなくなりそうだよ」
「これで夜のオカズに困んねーってか」
「やっぱりー?」
伝わってくる卑猥な雰囲気に、頭に血が上りそうになるのを巽は必死の思いで抑えた。こんな状態でなければ、速攻で割って入って何事か問い質してやるのに!あの人は一体、あの連中にどんなみだらな様子を見せたというんだ?!
チャイムが鳴り、職員達が会話を打ち切りそれぞれ仕事に戻っていく。巽の会話はまだ終わらない。
5分後、やっと会話が終わって立ち去る課長の背中を見送りながら、巽は自分の手が酷く汗ばんでいる事に気付いた。

「オカズって・・・げーっ!気色悪っ!!」
ぞわわわわ、と都筑の背中を怖気が走った。痴漢の被害にあう女性の気持ちってこんなんだろうか、と思う。
「あんたがそう思われるような行動をしたからでしょうが!でなきゃあんな異常な盛り上がり方しませんよ。一体何したんですか!」
ばんっ、と机を叩き、巽が吼える。
不機嫌の理由はわかった。
しかし、そう言われてもやはり都筑には何も思い当たる節がない。どう考えても、ない。
「わっかんないよ〜、ほんとに!」
都筑は頭を抱えた。
「誰かと抱き合ったり」
「ないない」
「服を脱いだりとか」
「してないっつーの!」
都筑は嘘をついたり隠し事をしている様子もない。では、一体どういうことなのか。
「わかりました。では、現場検証をしてみましょう」
そう言って、巽は立ち上がった。
「現場検証?」
「これから総務課へ行きましょう。ちょうど用事もありますし、行けば何か思い出すかもしれませんしね。・・・こんなんじゃ、仕事も進まない」
さっさと外へ向かう。
一歩遅れて慌てて巽の後ろに付いて行きながら、都筑は思わず顔がニヤけてしまった。
仕事が進まない、だってさ。あの巽が。

「失礼します」
総務課のドアを開けると、職員の数はまばらだった。噂をしていた男性職員達もいない。皆出払っているようだ。
「何か思い出しませんか?」
「全然」
自分でもここに来たら何か気付かないだろうかと思ったが、やはり都筑に思いつく事はなかった。
「あら、巽さん。丁度良かった、申請書が出来たところです」
女性職員の一人が声をかけてきた。
「ありがとうございます。お手数をかけますね」
「いいえ。都筑さんもご一緒なんですか。昨日はお疲れ様でした。あ、松五郎に挨拶します?」
「うん。ついでに餌もやっていいかな」
「どうぞ。そろそろ餌の時間ですから」
「松五郎・・・?」
巽が尋ねた。
「巽、知らなかったっけ。ここで飼ってるペットだよ」
「何年か前、都筑さんがお祭りの縁日で売れ残ったあの子を引き取って、うちの課長にプレゼントして下さったんですよ」
「ここの課長、生き物好きな人でさ。特に爬虫類が好きだって聞いてたんで、どうかと思って尋ねたら、すごく喜んで引き取ってくれたんだ。それ以来、ここのアイドルだよ。たまに俺も様子見に来るんだ。昨日もね」
「頭のいい子みたいで、課長が名前を呼ぶと寄って来るんです。都筑さんの事もわかるみたいですよ」
「可愛いんだよね〜」
何だか二人で盛り上がっている。彼女も生き物が好きなようだ。
「爬虫類・・・?何なんですか」
「ほら、あそこ」
都筑が指差した先に、幅1m以上はある水槽があった。ただし、水は張られていない。土が敷かれ、砂利と雑草がその上を覆う。割れた大きなプラスチックのボウルが伏せて置かれているのは、寝床だろうか。
そしてその中に、一匹の亀がいた。
「松五郎〜v」
都筑が寄っていく。
松五郎と呼ばれた亀は、体長30センチ弱。都筑に気付いたらしく、水槽のガラスに前足をかけ、立ち上がるような体勢でにじにじと身をよじっている。
「今日も元気そうだね。なんかさ、昨日も思ったんだけど、前より美人になったんじゃないか?」
「都筑さんもそう思います?お年頃なのかしら」
亀の美醜の基準が、巽には判らないが二人には理解出来るらしい。が、巽は別段羨ましいとも思わなかった。
「松五郎って名前だけど、女の子なんだ。性別が判ったのが最近でさ、でももう松五郎で定着しちゃったから」
水槽のふたを開け、都筑は松五郎を両手で抱えた。
松五郎は都筑に向かって顔をぐ〜っと伸ばす。愛想のつもりなのだろうか。
「かっわいいなあ、お前は」
そう言って、都筑は松五郎の口先に軽く、ちゅっ、とキスをした。
松五郎は前後の足をバタつかせながら、短い尾を円を描くように動かす。
「尻尾をこんな風に振ってる時は、喜んでる時なんです。やっぱり、都筑さんが来てくれて嬉しいのね」
「ちょっと、大丈夫ですか都筑さん?生き物にそんな事して」基本的に、生き物は色んな菌を持っていることが多い。無防備に口と口を接触させるのはかなり危険な行為である。
「大丈夫。人間に悪影響のある菌を持ってないか定期的に亘理に調べてもらってるんだ。悪い菌が寄り付かない薬も与えてあるし。俺もあとでちゃんと、口をきれいにするよ」
そう言って、都筑はごく軽い、かすかに触れる程度のキスを松五郎に繰り返す。
いくらなんでも亀にまで巽も嫉妬はしないが、何だか猫(亀)可愛がりというか、親バカめいた都筑の態度に少々呆れてしまう。彼が動物好きで動物からも好かれる性質なのは知っているが・・・。
それでも、無邪気な彼の姿を見ていると自然に口元が綻んでくるのを抑えられない。
無邪気で、無防備な彼の横顔を見ていると・・・。

「あぁあっっっ???!!!!!」

突然、ひっくりかえった大声をあげて、巽がのけぞった。
「?!何、どうしたんだ巽?」
びっくりした都筑が巽を見ると、彼はかつて都筑が見た事の無いほど、いや巽自身でさえ経験が無いであろう程に顔を真っ赤に染め上げていた。
首筋も耳も、手のひらまで赤くなっている。
「巽さん、大丈夫ですか・・・?」
女性職員が恐る恐る声をかける。
「あっ、えっ、ええ、申し訳ありません取り乱してしまって」
我に返った巽が取り繕うように答えるが、その顔はまだ赤いままだ。
「巽、一体・・・」
都筑が問おうとしたその時、部屋のドアが開き、複数の男性職員が談笑しながら入ってきた。
「只今戻りました――っ!お、こんにちは都筑さんvっと・・・巽さん・・・っ」
男たちの表情がびくっ、と引き攣った。
都筑と、巽。
二人揃っているだけなら何でもないのだが、松五郎を両手で抱えてきょとんとした表情の都筑と、顔を赤くしながらもギッ、と此方を睨み付けた巽の鋭すぎる眼光。
少々やましいところを隠し持っている自覚がある身には、察してあまりある状況であった。
いや〜な、予感。
「さ、都筑さんそろそろ戻りますよ。松五郎をお返しして。それでは私達はこれで失礼します」
「え?あ、うん、それじゃ失礼します。またね、松五郎」
都筑が松五郎を水槽に戻すと、挨拶もそこそこに巽は都筑の腕を引っ張ってずんずんと扉の方へ向かって行く。
男性職員達がずささっ、と両側に分かれて真ん中に道を開ける。海を割ったモーゼみたいだわ、と女性職員は内心で呟いた。
扉を開け、都筑を外へ押し出し巽がくるりと振り返り、にっこりと笑った。

「ウチの職員がお世話になりました」

閉じられた扉の向こうで遠ざかる足音を聞きながら、一人が呟いた。
「俺達に明日はねえ・・・」

都筑の腕を掴んだまま、巽は早足で廊下を突き進む。道行く者達をもれなく壁に張り付かせながら。
「なあ、巽には何かわかったのか?トラブルの原因」
「都筑さん」
中庭の渡り廊下に差し掛かり、人気が耐えた所で都筑がやっと尋ねると、巽は都筑に向き直って彼の肩をがしっ、と両手で掴んだ。
「すいません、どうも私が勘違いをしていたようです」
「へ?」
先ほどまで漲っていた殺気はどこへやら、少し照れくさそうな表情で巽が言った。
「貴方の行動を見る限り、問題があると思われる点は一切、全く、何一つ!見受けられません。昨日私が耳に挟んだ
会話だって、正確に聞き取ったものではありませんでしたし、何か聞き間違えてしまったのでしょう。・・・貴方の事となると、今一つ冷静さを欠いてしまうようだ。いい歳をして、恥ずかしいですね」
「巽・・・」
いきなり全力でこれまでの自分の考えを否定する巽に不自然さを感じたものの、気恥ずかしそうに目を背け、頬を染めて弁明する彼の表情を見ると、都筑は自分の気持ちが優しく緩んでゆくのを自覚した。
「うん、いいよ巽、俺・・・お前のそういうとこ・・・好きだからさ」
微笑んで巽の顔を見つめる。巽も微笑み返しながら、ゆっくりと都筑のおとがいを持ち上げる。
「こら、駄目だよ勤務中だよ?」
慌てて離れようとする都筑の腰は、すでに巽の手に捕らわれている。
「まあ、たまには、ね」
「人に見られるかも」
「今の時間のこのあたりは大丈夫ですから」
「まだ口をきれいにしてないし」
「松五郎と亘理さんを信用しましょう」
口では巽に勝てない。言葉も、くちづけも。

「それでも、ですね都筑さん」
「・・・ん?」
都筑を思うさま蕩かしきってから、巽が口を開いた。
「万が一、ということもあります。身体の事を考えて、松五郎に口でスキンシップをするのはもう止めた方がいいと思いますよ?」
「やっぱり、イヤかな」
「私はいいんですよ。貴方の唇に触れられるなら、死に至る病を伝染されても後悔はしない」
「やだよ俺!そんなんだったら自分の唇、一生こうしてる」
都筑は唇を内向きに曲げて外から見えないように隠してしまった。
「おばか。もののたとえですよ。間抜けな顔はやめなさい」
「生まれつきだよ」
「自覚があるなら結構。・・・私が心配なのは貴方ですよ。死神は耐性があるとはいえ、病気に感染したら危険な事に変わりは無いんですよ?死なないイコール肉体の苦しみがない、ではないんですから」
「それはわかってるけど・・・」
「もしそうなれば、松五郎だって可哀想です。あの子には何の罪も無いのに、処分されることにもなりかねない」
「うん。・・・それもそうだね・・・人間が自分で気をつけなきゃいけないことだもんね」
「それにね、貴方があんなに嬉しそうに私以外に唇を触れさせるのを見てると・・・妬けるんですよ」
「巽とのキスは、ぜんぜん別物なんだけどな」
「とにかく。もうお止めなさい。頭を撫でられるだけでも、貴方の愛情は松五郎に充分伝わりますよ」
「・・・わかった。もうやめとくよ」
甘えるように都筑は巽の肩に額を押し付け、もたれ掛かる。そのせいで、巽がにんまりとほくそ笑んだことには全く気付かなかった。


「でさ、結局巽の勘違いだったんだよね。そんなんで時間取っちゃったから残業になるしさあ・・・」
ふうっ、と大げさに都筑が溜息をついた。
「残業になんのはそれだけが原因じゃねーだろーが」
「どーせその後、巽ん家でただ飯食わしてもろたんやろ?」
「なんでわかるんだ亘理!」
「・・・わからいでか」
数日後の休み時間。都筑は事の顛末を密と亘理に語っていた。
「巽にしちゃ珍しいよな、そんな勘違いするなんて。でも案外直情傾向だからなあ、怒ると怖いしー、でもそういうとこが可愛い時もあったりしてさぁ・・・」
ナニを思い出しているのやら、半分以上回想シーンに突入した都筑はニマニマ笑っている。
密と亘理はそのだらしない顔を見ながら、深〜い溜息をつき、互いに顔を見合わせた。
「勘違いじゃないですよね・・・」
「知らぬは本人ばかりなり、や」
「ん?なんか言った?」
そ知らぬ顔でコーヒーをずずずっ、とすすった亘理は傍らの庁内情報誌を横目に見る。そこには大きな見出しの文字。

『怪現象!原因不明の携帯電話故障続発』

「そーいや最近巽さん、よく外に出かけてますよねえ。昨日も「これで15人目・・・」とか呟いて薄ら寒い微笑を・・・」
「坊」
それ以上言うな、と目で語り、亘理が制止する。
「なんかさー、そんだけいっつも気にかけてくれてんのかなって思ったら、何もかも許せちゃうんだよねえ・・・」
都筑は二人が聞いていようがいまいがお構いなしで語り続ける。

そして、キスはもらえなくなっても、松五郎は今日も変わらず元気にしっぽを振っていた。

                                           おしまいv


  *こめんと*

・・・え〜、なんとも下品なお話で申し訳ありません。
ある番組で亀に飼い主さんがキスしてるのを見て、スタジオがざわついていたのを見て思いついたネタです。
もし意味がわからないという方がいらしたら・・・そのままの貴方でいて下さい。






★広夢さん///最高です!
素晴らしい〜ぱちぱちぱち!!
そりゃあ、その光景は見て・・・「たまらん!」って感じでしょうv
(私も下品ですか? 笑)
都筑さん・・・・気をつけなきゃ;
でも巽ったらいつも自分はさせているくせ・・・・(影が!!・・・・しーん・・・・)


広夢さん、本当に素敵なお話有り難うございますv
とっても楽しかったです!(o^^o)