それぞれの事情〜夢の中の嘘と真実〜


真っ白な部屋の中に巽はいた。
今、自分は夢を見ている。その自覚は最初からはっきりと あった。 彼女に別れを告げられた夜。己の中の空しさと、それから目を背ける情けない心を見抜かれていた瞬間。
自分は本当はどうしたいのか。
ぼんやりと考えながら自宅に帰り、シャワーを浴びてすぐ眠りに就いた。
そして・・・今、夢を見ている。
この部屋がどこなのかも知っている。 昔、巽とコンビを組んでいた頃の都筑の部屋だ。当時まだ数少なかった洋風の家。与えられた社宅に彼は住んでい た。
小奇麗で当時としては高級住宅であったが、後に都筑は「一人で住むには広すぎるし、庭も無いのは寂しい」とわざわざアパートに引っ越してしまったのだ。広い庭が あって、そこを好きな様に弄っても良いと言われたからだ ということだったが、本当の理由はそれだけではなかったと思う。

あの頃も、必要最低限の家具しか置かれていない寂しい部屋だったが、今のこの部屋にはたった一つ・・・窓からの光に照らされた揺り椅子があるだけだ。そしてその椅子に 座り、揺られているのは。
「・・・都筑さん」
巽の呼びかけにも都筑は何の反応も示さず、ただ虚ろな瞳で窓の外を眺めている。 窓ガラスの向こうには、次々に色んな光景が現われていた。
召還課で忙しく立ちまわる密や亘理達。
書類片手に相談している巽と課長。
新しい恋人と楽しげに話す巽。
声を掛けてくる職員。
庁舎の廊下。
資料室。
食堂。
中庭。
アパート の部屋。
町の商店街。
公園・・・。
それらを都筑はただ、眺めている。何の感慨もなく。

「都筑さ・・・」 もう一度声を掛け、都筑の傍に寄ろうとして、巽は自分の足が動かないのに気付いた。どうしても足が床に吸いついたように動かない。

―――お前が都筑の傍に行きたくないからだ―――

不意に声がした。 頭の中に直接響いたものか、実際(といっても夢の中だ が)耳から入って来る音声なのか判断はつかなかった。 ただ、その声ha
何故だか弔いの鐘の音を思い起こさせた。

―――傍に行ってどうする。今更何が言いたい―――

その通りだ。自分はどうするつもりだったのだ。彼はも う、巽を見なくなってしまったのに。 巽はただ、項垂れた。声の主が何者なのか、何故か疑念には思わなかった。 近づいて顔を合わせ、その手に触れても彼は何の反応も示 さないだろう。それを見るのが怖かった。
「でも・・・私はずっと、ここに来たかった気がする」
自分の思うことがさらりと口に出た。計算の含まれた台詞 はここでは発する事は出来ない。ここの支配者は巽でも都 筑でもなく、声の主であった。

―――そうであろうな。ここはお前のもっとも欲しいもの だからだ―――

「私の、一番欲しいもの・・・」

―――わかるか?―――

「あのひとの、心の中」
泣きそうな表情で巽は呟いた。
実際、巽は泣きたくてたま らなかった。

―――ここは都筑の心の中であり、お前の夢の中でもある。二つの世界を同調させるのは容易かったぞ。今のお前 達の波長はあまりにも似通っている故―――

「似ている、か・・・」
くくく、と巽は笑い出した。 そうだ。この部屋は今の自分の心によく似ている。 硬質の壁に覆われた何も無い空間。見渡せばここには扉さ え無かった。 ひとの心にあるべきものが、何一つない。 あるのは残りカスのような自我。そのうち、窓さえも消えてしまうのだろう。
だが。それもいいのかもしれない。 結局、欲しいものは手に入らなかったのだから。せめて、彼と同じになれるなら。 窓の外の光景がまた変わった。巽と都筑が向かい合っている。
「もう、あなたと一緒にはいられません。疲れたんで す・・・」
そう言って都筑から去って行く巽。追う事もなく、その場に立ち尽くし涙を流す都筑。 そんな光景を、椅子に座る都筑はそれまでと同じく無反応 に眺めている。

―――あれは都筑の見ていた夢だ。お前から離れる前に繰り返し見ていた。あの夢にこやつは苛まれ続けていた ―――

「こんな・・・たかが夢に」

―――だがこれは全くの虚構ではないぞ。単なる過去の幻影でもない。お前達の間に確かにあったものだ―――

「・・・」
巽の中に暗雲が広がる。
―――自分を削り、相手に尽くす。一方的なそれにお前は 真実、疲れを覚えなかったか。不満を覚えなかったか ―――

「・・・疲れはありました。でもそれは私が自ら望み選んだ事だ。そうしてあげたいと、幸せになって欲しいと思っ てした事だ」

―――だが不安があっただろう。これで都筑は幸せになれるのかと。自分は幸せにしてやれているのかと―――

「それは・・・」

―――そして自分は満たされるのかと―――

本当は、いつだって不安だった。
手を差し伸べるたびに微笑む都筑。
だが、その笑顔から硝子のような脆さをいつも 感じていた。 お互い、危うい感情を相手に見せる事は無かった。 どこまで行けばいいのか判らないまま―――。

―――都筑はお前よりも敏感にお前の不安を感じ取っていた。あの夢はお前達二人の不安の結晶だ―――

ああ。だから彼はいつもあんなに儚く微笑っていたのか。 二人の絆が本当はこんなにも頼りないものだと気付いていたから。
そして耐えきれず・・・別れを切り出した。
いつだって本当に何も気付かないのは巽の方だ。
滑稽だ。上手くやっていると思っていたのは自分だけ。
「ははは・・・」 可笑しくて。可笑しくてまた笑い出す。自分の愚かしさ に。

―――もう、要らぬか―――

巽は笑うのを止めた。 抑揚の無い声に、誘惑を感じる。

―――そもそも、お前は何故あやつが欲しい―――

「愛しいから、です」

―――何故、愛しい―――

「母の様でした、あのひとは・・・。世界の酷さを誰より も味わい、涙を流し、狂気に陥り、それでも愛することを 諦めない。命を散らし、自身の存在を否定しても、決して その想いだけは捨てようとしなかった。それは、私には無い強さです。憧れだった」

―――同時に嫉妬でもあったな。憎しみでもあった―――

巽は薄く嘲笑う。
「はい」
その姿は、愛することにすら妥協し、悟った振りをしてい る私の欺瞞をまざまざと見せつけたから。私が一番見たく ないものを。 母のそれは、父に向けられていた。 だが、都筑のそれは、巽に向けられていた。 憎むべき想いは、一途に自分に向けられていたのだ。 アンビバレンツな感情の交差。どうしたらいいのか、わからなくなってしまった。
窓の外の風景がまた変わる。
荘厳な教会の中。傷付き、血まみれの都筑が巽そっくりの男に向かって、「巽に」微笑みかける。
「お前も幸せじゃなきゃいやだよ、巽・・・」

また、風景が変わった。 夜の病室。ベットの上の都筑は、やはり微笑みながら巽を 抱きすくめた。
「お前の気持ち、わかったから・・・嬉しいんだ。ありが とう、巽・・・」
まっすぐに向けられる優しさ。
「都筑さん・・・」
泣き出したいような疼きが、胸の内を掻きむしる。 思い出した。 憎むより、嫉妬するより。 幸せにしたいと願うよりも、嬉しかったのだ。 都筑の傍にいられることが―――。 そして、愛しいと言われ、愛しいと想い、恋人となった。 ただ、それだけだった。余計なものなど、何も無かった。

―――欲しいか?―――

再び誘惑する声。
「欲しい・・です」
巽の内から、何かが湧き上がって来る。もう何も無いと思っていたそこから。
「欲しい・・・欲しい、欲しい、欲しい!」
自分を抱きしめ、巽は叫ぶ。幼子が我侭を言うかの様に。 浅ましく、情けない。これが自分の真の姿だ。

―――死者が存在する原動力。愛、夢、希望、願い、欲望、エゴ・・・名前は何でも良い。お前達はそれを忘れ、 捨て去ろうとした。・・・だがそんな事が出来るくらいな ら死神になるはずも無いのだ―――

嘲笑するような、憐れむような声。 足が動く。巽は都筑の元へ駆け出した。
「都筑さん、都筑さん・・・!私を見てください。都筑さ ん!」
都筑の肩を掴み、強く揺さぶる。都筑は虚ろな視線を窓の 外に向けたままだ。 「もう・・・ダメなのですか。貴方は自分の想いを捨て 去ってしまったのですか・・・?」
紫電の瞳は巽を映さない。

―――自分で自分の想いを封じたのだ。だが、それは今も 都筑の中にある。心を開ける鍵は一つだけだ。どうすれば いいか、もうわかるな―――

巽は返答もせず、窓を開けると勢いよくそこから飛び出し た。
汗を掻きながら、巽は目覚めた。
何か夢を見ていた気がするが、内容を全く思い出せない。 だが、激しい衝動が自分を突き動かそうとしている。

―――都筑さん。

起き上がり、巽は急いで出勤の用意をする。 貴方に言わなければならないことがある。
食事も摂らないまま、巽は閻魔庁へと急いだ。

―――ふ〜やれやれ。自分の蒔いた種を刈り取るのは骨が 折れるわ―――

冥府の王は一仕事終え、こきこきと首を鳴らした。

  少々お待ちください