抱擁 +改訂版+
6
都筑が目を覚ましてからは 保険管理室には誰かしら様子を見に来る者が絶えない状態が続いていた。
巽や亘理がどんな風に今回のことを伝えたのかは分からないが、 見舞いに来た人の話からすると、関わった事件で大怪我をした・・・・
としか聞いていないようだった。
・・・まあ詳しく話すわけにもいかないよな・・・・
死神でありながら、死を選んだことを公にするのはまずいのだろう。
都筑はたくさんのお見舞いの言葉を受けながら考えていた。
「痛くなかった?大丈夫だった?」
長い髪にリボンがよく似合う若葉が手作りのお菓子をお見舞いにと差し出してくれる。
「わあーありがとう!」
彼女の作るお菓子に早速手を伸ばしながら、密の方を見ると相変わらず本を読んでいる姿が目に入った。
密もあえてあの後何も言ってこなかった。
二人きりになった時も何も今回のことについて触れてこない。
今回の京都の件では今まで見せていなかった自分の姿をいっぱいさらしてしまった。
きっと言いたいこともあるだろうに・・・・と都筑は思う。
あの業火の中に彼を巻き込んだのは確かなのだから。
彼が言わないなら自分から言えばいいのだが、それも出来ない。
何をどう伝えればいいのか、どう説明すればいいのか・・・・自信がなかった。
心の全てをさらけ出してしまえば、いいのかもしれない。
でもそれは・・・・こんな事になった今でも出来ない話だった。
何よりも自分にはその勇気がない。
・・・・逃げてるんだよね・・・・
密が全てを無理に聞き出そうとせず甘やかせてくれていることをいいことに、自分は口をつぐんでしまう。
・・・・ごめんね、密・・・・
心の中で呟く言葉。
そしてもう一人、何も言わない彼のことを思い浮かべた。
彼にも何も言わないまま、また今までの生活に戻るのだろうか・・・・。
普段は仲の悪い寺杣やここぞとばかりに迫ってくる伯爵もお見舞いに来てくれる。
みんな口ではなんだかんだ言いながらも、心配してくれていることが伝わってきた。
あんなに辛かったのに・・・・
もう生きていることが嫌だったのに・・・・
またこうやって、みんなと会えて、話して、笑って・・・・
こうやっていると、あの忌まわしいことが遠い過去のように思えて現実感がなくなってくる。
悪い夢だったのかもしれない・・・・。
目の前で繰り広げられるいつものドタバタを目にしていると
とっても幸せで、楽しくって。
この騒がしさは自分の周りにはこんなにも優しい空気があったのだということを、今更ながら思い出させてくれた。
今日何度目かの様子を見に来ていて
『腰が抜けるほどの手厚い看護をしたい』
という妄想丸出しの変態伯爵の相手をしながら、 巽は見舞客に囲まれて楽しそうに笑う都筑を見ていた。
事件の詳細は限られた者しか知らない。
今回のことは課長もそして閻魔でさえも知っていることなのに、 都筑の病状以外は特に触れられることもなかった。
それだけに、今回の事件の根の深さを巽は感じていた。
でも・・・・
こうやって間近で都筑の笑う姿を、声を見たり聞いたりすることは何よりも巽の心をなごませた。
一度は諦めた大切なもの。
それがまた手の届くところに戻ってきてくれた。
これからまた関係を築いていかないといけないけれど・・・・
巽は若葉や寺杣達と話をしている都筑を一歩離れたところで穏やかに見ていた。
そろそろ覚悟を決めないといけない・・・・
日々の雑務に紛らわして、延ばしてきたこと。
あの日からずっと心で繰り返し問うてきたこと。
もう、逃げてはいけない。
明日が退院という夜。
散歩に出てくると病室を出た密を見送って、ぼんやり都筑は月を見ていた。
久しぶりに見たような気がする・・・・
目を瞑るとおぞましい事が蘇ってきそうな気がして、なんとなく病室から出てきた。
廊下の片隅にある大きな窓に近寄った。
夜の庁内は静かで・・・・月は綺麗だった。
「おや?」
聞き慣れた声に振り向く。
残業を終えた後だろうか、巽が立っていた。 何も言わないけれど、きっと今回の事件での処理が大変なんだろう・・・・
と都筑は思っていた。
いつもは口を開けば
「あんたのせいで!」
と小言ばっかり言うのに、本当に大変なことは何も言わない。
いつもそうだった。 本当に都筑が憔悴しきっている時は、誰よりも気にかけていてくれる人だから。
「こんな所でなにしてんの、あんたは」
普段めったに聞かない巽のくだけた言い方。
都筑はそれがちょっと嬉しくて
「だってヒマなんだもん」
と言い返す。
「黒崎君は?」
と聞かれ、都筑が外に出たと言うと
「そうですか・・・・」
と少々考え込む素振りを見せた。
何かを思いついたのか、林檎でもどうですか・・・と病室に戻るように促された。
目の前で次々と出来上がっていくうさぎの形に、口元が緩む。
巽が剥いてくれるのが嬉くって、 こうやって世話を焼いてもらえることが何よりも嬉くって、
都筑は皿に載せられた林檎に手を出し、頬張る。
甘い林檎の汁が口いっぱいに広がった。
怪我をしたこともラッキーだったかもとか我ながら脳天気な考えさえも浮かぶ。
「・・・・都筑さん・・・・」
ずっと林檎を剥く間、黙っていた巽が口を開いた。
2個目のうさぎ林檎を口に入れた時だった。
「ひとつ・・・・聞いてもいいでしょうか・・・・?」
林檎のおいしさにすっかり気を取られていた都筑は軽く答えた。
「なに?」
巽は手にしていたナイフと林檎をサイドテーブルに置いた。
「あなたを助けた事・・・・・迷惑でしたか・・・・?」
えっ・・・・?
一瞬何を言われたのか、理解できなかった・・・いきなりだった。
「巽・・・・?」
まっすぐに都筑の目を見つめてくる巽の目を見返す。
どれくらいの時間が流れたのか・・・ すっ、と巽が視線をはずした。
「邑輝が私達の目の前で貴方を連れ去ってから・・・私は何が何でも奴から貴方を取り戻そうと思いました」
自分が目を覚ましてから聞く初めてのこと。
聞きたくても聞けなかったこと・・・。
都筑は巽の手がシーツを掴んでいるのを見た。
「このままでは・・・・屈辱で気が狂いそうだった・・・」
そう感じたのは屈辱・・・・・こんな時まで自我が邪魔をする。
「あなたの決意を邪魔したくはなかった。安らかな死への道行きを・・・・邪魔したくはなかった・・・」
巽の言葉が都筑の中に流れ込んでくる。
自分がどれだけ死を望んでいるのか、もうどれだけ生きることに疲弊していたか、
いつも自分の間近で誰よりも敏感に感じ取っていたのだろう。
知らず知らずに追いつめていた・・・・のかも知れない。
都筑はなにも言葉を発することが出来ずに、ただ巽を見つめていた。
「だから私は躊躇ったんだ!・・・・あなたをあの地獄の業火から救い出すことを!」
巽が叫んだ。
・・・・・それは都筑が初めて見た巽の姿だった。
両手で頭を抱え込み苦しそうに叫ぶ姿を、正直驚きの思いで都筑は見つめた。
今回のことで・・・・色々煩わさせた・・・とは思っていた。
たくさん迷惑をかけて、仕事も増やして。
それでも目が覚めた時から巽が今回のことは何も口に出さなかったので もうそれでいいや・・・とちょっと思っていた。
だから・・・・これは不意打ちだった。
少し落ち着いたのか巽は淡々と言葉をつなぐ。
「人間、年をとると余計なことばかり考えていけませんね・・・・時々黒崎君の様な若い人が羨ましくなりますよ。
惑うことなく自分の想いを貫き通せる力がうらやましい・・・」
そしてそういうと巽は片手で顔を覆い、俯いてしまった。
何を言えばいいのか、どういう言葉を選べばいいのか、 ごめんね・・・・と言えればいいのか、都筑には分からなかった。
自分も巽も長く生きて・・・・そして疲れて・・・。
知らず知らずに心に沢山の澱を重ねていっているのだろう。
目の前には心情を吐露した巽がいて、自分は黙って聞いていて・・・・
でも・・・・
普段けして見せてくれない心の内を言ってくれた嬉しさも都筑にはあった。
密のようにまっすぐ生きて行くには、もう都筑も巽も背負いすぎた荷物が重すぎる。
時にはその重さに押しつぶされて、心とは違う選択もしてきた。
けれど少しでもその修正がきくのなら、
背負いすぎた荷物を少しずつでも軽くしていけるのなら、
これからの人生もまた違ったものになるかもしれない。
そんなことは誰にもわからないけれど・・・・・。
「・・・・・そんなこと思ってないよ」
少しの沈黙の後、都筑は巽に声をかけた。首を横に振る。
「おまえの気持ちわかったから・・・・」
分かりすぎる程に・・・・
そっと巽の手に自分の手を重ねた。ビクッと巽が動くのを感じる。
俯いていた巽が心もち上を向いたところに、そっと手を伸ばす。
がっしりとした肩に首に手をかけると、都筑が抱きつきやすいように巽は身を起こした。
「嬉しいんだ」
ぎゅっと自分の体を巽に委ねる。
久しぶりの巽の体温を感じる。そして都筑はずっと心に留めていた言葉を告げた。
「助けてくれてありがとう・・・・」
もう会えないと思ったのに、もう全てを捨ててもいいと思ったのに
こうやってまた笑える・・・・抱き合える・・・・ぬくもりを感じあえる。
「都筑さん・・・・」
小さく小さく嘆く巽の声が聞こえた。
顔を少しだけあげるとお互いの視線が絡んだ。
「ありがとう・・・巽」
もう1回だけそっと呟く。
・・・もう言葉はいらないね・・・・
お互いの顔を映していた瞳を閉じる。
あとは相手のぬくもりを感じればそれでいい。
この抱擁が全ての言葉を超えると信じていたい。
月明かりの廊下の一角で巽は佇んでいた。
・・・・ありがとう・・・・
そう囁かれた言葉が耳に残っていた。
終わらせたかった命を引き留めた自分に与えられたもの。
罵られてもいいと思っていたのに、あの人の優しさは小さな棘のように心に残る。
それは甘い甘い毒のようだ。
その毒に蝕まれながらも・・・・また自分は彼の側で歩む日々が始まる。
「都筑を救ってくれてありがとう」
先刻、課長から言われた言葉。
何故助けたのか?
という問いに
黒崎君を失うことは都筑の一番の悲しみになるから・・・・と答えた自分。
嘘ではない・・・でも真実でもない・・・・。
全てのしがらみを振り切って抱きしめ合うにはあまりにも長く生きすぎた、
あの人も自分も・・・・。
きっとまた互いに苦しめ合う時が来るのかも知れない。
それでも、例えそれが・・・仮初めであっても、 お互いに抱きしめ合えるならば
癒される傷もあると信じたい。
あの抱擁が二人の間を溶かしたように・・・・
どんなに傷ついても
どんなに苦しんでも
腕の中に抱いたあの命をもう手放しは出来ないのだから・・・・・・。