第4章

・・・・遅いですね・・・・
コンロの火を止めながら巽は掛け時計を眺めた。
8時30分・・・・。時間にルーズなところがある都筑だが、こと食事が絡んだりする時に遅刻することは珍しかった。ましてや仲直りの意味を込めて・・・・の食事である。
5分、10分は遅れることがあったとしても、これは遅すぎるのではないだろうか。
巽は少し考えて、エプロンを外し玄関へと向かった。
行き違いになることも考えられるが、近所まで様子を見るぐらいなら大丈夫だろう。
それに何か説明の付かない胸騒ぎもある。
玄関脇に置いてあった上着を手に取りながら、巽はドアを開けた。



少し見晴らしのいい場所に立ってみる。ここなら何処から都筑が来てもすれ違うことはないだろうと思われた。
目の前の公園に何気なく目を向ける。冬のこんな時間に誰がいる訳でもなくひっそりと外灯のみが公園を照らしていた。
都筑と一緒の休日にはよくここでお昼をとっている。簡単なお弁当を作って芝生に腰を下ろして過ごす時間は彼のお気に入りだ。子供のようにはしゃぐ都筑の姿を思い出して巽はふっと笑った。
その時、誰もいるはずのないベンチの人影に気付く。
充分とは言えない光を頼りに目をこらすと、そこには都筑が座り込んでいた。
「都筑さん!」
巽は大きな声を上げて走り寄った。
「都筑さん、都筑さん!」
首を項垂れたまま眠っている都筑の肩を揺らす。
「ん・・・・」
「都筑さん!」
その声に都筑はうっすらと目を開けて顔を向けた。
「あ・・・・たつみ・・・・?」
「どうしたんです?いったい・・・・何故こんな所に!」
「え・・・?」
まだぼんやりするのか都筑は軽く頭を振る。巽の問いに周りを見渡し再び巽の方を向いた。
「ここ・・・あの公園・・・・?なんで?」
「聞きたいのは私ですよ、何故こんな所にいるんです?」
「何故?・・・・あれ?何か頭がボーっとして・・・・」
要領の得ない都筑に溜息をつくと、巽は都筑の横にあるケーキの箱と花束に目を向ける。「これは・・・・あなたが買ってきたんですか?」
「え?・・・あ、うん、たぶん・・・。」
・・・・あれ?いつの間に俺、ケーキ買ったんだ?それに花束まで・・・・
巽に答えながらも、都筑は首を傾げる。何か忘れてるような気がする。
「とにかく、家に行きましょう・・・・ここは冷えますから・・・・」
巽が促すとまだ眠りから覚めきっていない様子の都筑がふらふらと立ち上がる。
「あっ」
一歩踏み出した瞬間、都筑がよろめく。咄嗟に支えた巽はその瞬間動きを止めた。
・・・・この香りは・・・・
「あ、ごめん巽。」
「いえ。」
もう、大丈夫だよ、とケーキの箱を抱えた都筑が歩き出す。
「・・・・どうしたの?」
花束を持ち立ち止まったままの巽に、都筑が振り向いて声をかけた。
「あ・・・・いえ、何でも・・・・行きましょうか。」
巽は都筑と共に家へと向かった。




都筑が使っているシャワーの音を遠くで聞きながら、都筑が買ってきたという薔薇の花束を見つめていた。部屋に入るなり花瓶に都筑が挿し替えた。
高価そうな大輪の真っ赤な薔薇・・・・。
また箱を開けてみたケーキは名前の所が綺麗に削り取られているけれど、しっかりと残る『Happy Birthday』の文字・・・・・。
そして何よりも先程都筑の身体からかすかに香ったムスクの香り・・・・都筑が普段つけているものとは明らかに違う香り・・・・。
それらは皆、一つの答えを巽に示していた。
・・・・間違いない・・・・・
巽は唇を噛んだ。都筑は会ったのだ、あの男に。
しかも都筑はそのことを忘れているらしい。最初は誤魔化しているのかと思いもしたが、どうやら本人の記憶が抜けているというのが正解のようだ。何かにつけ首を傾げている様子がみてとれる。どうにも納得のいかない点があるのだろう。
一度気付いた香りが我慢できなくて、体を温めるようにと都筑をバスルームへ促した。
上着を脱がせる時に見えた首筋の痕・・・・。
あの男がいつ誕生日なのかは興味がないが、おそらく今日なのだろう。こうやって名前は削ってあるのに、謎解きのように『Happy Birthday』の文字を残すところに性格の悪さを感じる。白い生クリームを見ていると、思い出したくもない顔が浮かんできて巽は箱を閉じた。

全てが自分に対する挑戦のように思える。
一度手中にした都筑を返すところに、余裕を見せつけられているようで不快だった。
『いつでも奪える』と宣言されている気がした。
本当ならこの薔薇も今すぐ捨ててしまいたい程だ。
しかし、今現時点で都筑が何も覚えていないのに、そうすることは出来ない。合点がいかないまでもケーキも花も自分が買ったものだと思っているのだ・・・・・悔しいことに。
巽はせめてもの・・・・と薔薇をキッチンの隅にあるサイドテーブルの上に置く。真っ赤な花の色が毒々しくさえ見えるようだった。


「あーいい匂い!」
バスローブ姿で出てきた都筑はキッチンに漂う美味しそうな匂いに包まれて幸せそうに笑った。
「今、温めなおしていますからね。」
「うん。・・・・でも、ごめんね、遅くなっちゃって・・・・。俺、本当になんで公園に・・・・」
「いつものようにボーっとしてたんでしょう?」
「えー?そんなあ、いつもなんて・・・・」
「ほらほら膨れてないで、お皿出してもらえます?」
巽はあえて茶化すことで話題を避け続けた。
いずれ思い出すことになるかも知れないが、今はこの時間を邪魔されたくはなかった。
都筑を責める事は簡単だが、そうすることはあの男を楽しませるだけに過ぎないような気がした。何もかもあの男の思い通りになるのはプライドが許さない。


「ごちそうさまでした!」
手を胸の前で会わせる都筑にお茶を渡す。
「ふーっ本当に美味しかった〜、ありがとう巽。」
「いえ、やっぱり一人で食べるよりかは、美味しく感じますね。」
「た、たつみ・・・・」
「どうしたんです?そんな顔して。」
ぽかーんと口を開けたまま巽を見つめる都筑を見て問い返す。
「え?・・・いや、なんか・・・巽がそんなこと言うの珍しいから・・・・」
「そうですか?」
「うん・・・・」
すっと巽は都筑の頬に手を伸ばした。
「今日、泊まっていってくれますね?」
「え?ああ、巽がいいのなら・・・・俺は別に・・・・。」
言外に含まれる意味に、ぱぱぱっと顔を赤らめる都筑が可愛らしかった。
巽は立ち上がり都筑の後に回り込むと、そっと抱え込み口づけを落とす。
巽の服を掴みながらキスに応える都筑を抱きしめながら、巽はこのぬくもりを離さないことを誓っていた。
・・・・貴方にはこの人は渡しませんよ、ドクター・・・・・
薔薇もケーキも都筑が傷つかないように処分することなどたやすい。あの男のものなど見たくもなければ、食べたくもない・・・・貴方の好きなようにはさせません・・・・。
巽は都筑を抱きしめる力を強めていった。




・・・今頃は、どうしているのでしょうか・・・
邑輝は用意した2つのグラスの1つにワインを注ぎ、その片方を口へ運ぶ。
自分の誕生日なんて忌まわしいもの以外何ものでもないが、今日ばかりはいささか機嫌がいい。
思わぬ贈り物をいただいたからでしょうか・・・・自然に口元が緩む。
熱く自分を呼ぶ声や、回してくる腕のぬくもりが思い出される。

軽く都筑には術をかけておいた。今夜の記憶は残ってはいないだろう。
しかし、あくまでも軽く・・・・だ。ほんのちょっとしたきっかけで戻る可能性はある。
・・・そう例えば、『誕生日』という言葉に、とか・・・・・
今月はあの秘書殿の誕生日もあるらしい・・・・楽しみですね・・・・。

邑輝はグラスを片手に窓辺に立ち街の灯りを見つめる。
たぶんあの聡い男は自分のことに気付いているのだろう。多くの挑戦状を叩きつけたようなものだから。
・・・貴方が都筑さんをどう愛し、守っていくのか・・・・今しばらく、見させてもらいますよ・・・・・
邑輝は薄く笑うと、持っているグラスとテーブルの上のグラスとを軽くあわせた。


・・・・・必ず迎えに行きます、都筑さん・・・・・
静かな空間に凍るような音が小さく響いた。

         “Happy Birthday to Muraki”

                         END


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