これからも
「・・・・・で、結局は何もなかったと・・・・」
ふーっと息を吐きながら、いかにもつまらなそうに亘理が言った。
「何があるっていうんです」
不本意ながらお茶を強請りに来た亘理の前に珈琲を差し出す。
「あ、サンキュー」
巽から受け取って早速一口飲み干す。
「うん、ええ味や」
「それはどうも」
軽く答えて巽は窓際へと移動した。
見下ろした中庭には何人かの職員がいた。
楽しそうに談笑している様子を見守る。
その輪の中心に彼がいた。
久しく見ていなかった笑顔がそこにあった。
「あんなに大騒ぎしたのになあ・・・」
後ろから聞こえたその言葉に振り向いて苦笑した。
「そうですね・・・・」
「本当に何もなかったんか?」
「・・・ないですよ。しつこいですね」
「いやでも、普通は・・・」
「何をどう普通というかは知りませんがね、少なくとも何もなかったですよ」
そう答えてそしてまた外を見た。
ほんの数週間前の絶望を忘れはしない。
忘れられない・・・
あの業火の中で消えるものと覚悟した時に自分の生・・・
・・・これが生といえるかどうかは分からないが・・・
それが終わったと思った。
何度目かの諦め
何度味わっても慣れない苦しみ
そして
何度も夢見た開放・・・
それが全て終わると覚悟した。
初めて『狂う』ことを意識した瞬間だった。
悲しみながらもそれでも喜んでいたかも知れない自分を知った。
結局・・・・
自分はそれこそ何度目かの手を差し伸べて・・・・
見たくもない姿を見てまで掬い上げてしまった。
その結果、今、彼は笑っている。
嬉しそうに・・・楽しそうに・・・
目覚めるまでの数日間。
自分を責め続けた日々。
そして目覚めた時の安堵感と恐れ・・・。
彼の唯一の願いを取り上げてしまったのかも知れない・・・
その思いに飲み込まれそうになっていた。
「ありがとう」
それが彼の言葉だった。
耐えられず落とした涙に彼はやつれた顔で微笑んでくれた。
「ありがとう」
抱きしめてくれたぬくもりは今でも覚えている。
それは何よりも温かなもので・・・
心に張りつめたモノが溶けていく感覚だった。
「ありがとう」
それは私が言うべきものなのに・・・あなたに言わなくてはならない言葉なのに・・・。
「つまらんなー」
心からそう思っているのだろう、ふてくされたように亘理が呟いた。
彼から見れば自分と都筑が昔のような間柄に近づくかも・・・・
そう考えていたようで。
あの部屋で交わした会話は2人だけの秘密だ。
彼のあの言葉は私の支えとなるものだ。
誰にも伝えはしない。
『ああああ! ひどいよお〜密!!』
『煩い!』
『だって・・・』
下から響く声につい微笑む。
こんなに穏やかにあの人を眺めることが出来る日が来るなんて思わなかった。
覚悟を決めたその時に自分は何かを越えてしまったのかも知れない。
『あ! 巽〜!!』
こちらに気付いて手を振ってきた。
その子供のようなしぐさに、つい手を挙げて応えてしまった。
それが嬉しかったのか、満面の笑顔になる。
それがとても眩しくて・・・・
「何も変わってないけど・・・・残ったもんはあるやろうなあ」
いつの間にか横に来た亘理が言った。
「そうですね・・・・」
だからこそまだ此処にいる。
いることが出来る。
それはきっとあの人も同じなのだろう。
これからも願うものはただ1つ。
今までもこれからもそれは変わりはしない。
何が起ころうとも。
そしてどんなに辛い思いをしても・・・。
「さてお茶を淹れ直しますか」
もうすぐ駆け込んで来るであろう人のために。
そして
その笑顔を見つめる時間を味わうために・・・・・・・
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2003・11・19
M・Hinase
☆「京都編」直後のお話のつもりです
最後までおつき合いありがとうございました・・・・m(_ _)m