Scene

息も出来ない程の強い香りに包まれる。
身体中の皮膚から染みこんでくるその香りに引き込まれそうになる。
このまま、出来ることなら、このまま・・・。

都筑はいつものように・・・邑輝のいない午後は・・・敷地の一角にある薔薇園で過ごしていた。
色とりどりの薔薇の中にたった一つ置かれたベンチは都筑のお気に入りだ。
此処で寝ころんで自分を取り囲む花を見渡す。
手入れの行き届いた姿に微笑みながらも、
心の何処かが騒ぐのも感じることが出来た。
それはずっと・・・ずっと・・・求めてきたものに似ているような、
不思議な感覚だった。



「都筑様、旦那様がお帰りですが・・・。」
邑輝の帰宅を告げた執事の声に都筑は起きあがった。
「あ、うん。すぐ行くよ、ありがとう。」
微笑んだ都筑に頭を下げると彼はすーっといなくなる。
うーんと背伸びをする。
また香りが身体いっぱいに取り込まれる。
この香りを邑輝にまた渡そう・・・都筑はベンチから立ち上がった。




上着をとりネクタイを緩める・・・・窓際に立った邑輝の視線の先には薔薇園から戻ってくる都筑がいた。
またあそこで時間を過ごしていたという事に眉を顰める。
またか・・・・小さく舌打ちをする。あそこに都筑を入れるなと言ってあったのに・・・と呟く。
どうせ上手いこと言って、または入り込んでいたのだろう。
邑輝は大きく息を吐く。

共に此処で暮らす様になったとき、邑輝は都筑のために庭園を整備した。
元々あった場所に都筑の好きな植物を植え、それを愛でる場所になれば・・・と。
しかし都筑が特に好んだのはそれらの場所よりも、以前からあった古い薔薇園の方だった。
特に珍しい品種があるわけではない。
けれど数だけは多く、手入れはしているが他の所に比べれば鬱蒼とした感が否めない所。
其処にあるベンチによく寝転がっているらしい・・・そのことは報告を受けていた。
それもいつも邑輝が留守の時だ、自分が居るときはそこに行こうとはしない。
それが何故だかは分からないままだった。





「眠れませんか?」
ひとしきり情熱を分かち合った後の汗ばむ身体を起こして邑輝は隣の都筑に声をかけた。
以前は・・・・まだこの屋敷に来たばかりの頃は・・・・情事の後、邑輝にしがみつくように抱きついていた都筑。
それがいつの頃からか、事の後抱きつくことがなくなってきた・・・今では背中を見せることもあった。
都筑が振り向いた。
「ううん、そんなことないよ。・・・おまえこそ仕事で疲れているだろう? 早く休んだ方がいいよ。」
ただ月が綺麗だな・・・と思っただけだよ。
そう言って邑輝の方に身体を寄せる。けれど顔は窓の方を向いたまま。
邑輝は都筑の肩に顔を埋める。
「・・・・・薔薇の香りがしますね・・・・」

あの薔薇園の香り。

「ここのところ結構長くいたからね・・・染みついちゃったのかな。」
くすくすと嬉しそうに笑う声に邑輝は都筑を抱きしめる。
「ん?どうしたの?」
自分に廻された邑輝の手の上に都筑は手を重ねる。
邑輝は頬に触れる黒髪の感触を味わう。
「もう・・・あまりあそこには行かないでください。」
「あそこって?」
「・・・・分かっているはずですよ。」
「・・・・・」

最初は・・・・花の好きな都筑だからと気にもとめていなかった。
作り始めたばかりの庭園よりも既にある薔薇園の方が面白いのだろうと
・・・でもそれはそんな簡単なことではなかったらしい。

邑輝は仕事上長期に留守をすることがある。
そんな時都筑は長い時間、其処に籠もることに・・・・そしてそれは同時に都筑の睡眠を奪っていった。
眠ると恐ろしい夢を見るのだという。
それがどんなものなのか・・・・何も話はしないが、寝てもかなりうなされてもいるらしい・・・・。
今では行かない日もその夢を見るようになったらしく、不眠症のような症状を起こしている。

そして今日もまた眠らない・・・・らしい。

身体に染みついた香りが見せる夢なのか。



「このままじゃ、身体がもちませんよ。」
・・・そして心も・・・。
「大丈夫だよ・・・。」
少しだけ眠そうに都筑が答える。
「一体どんな夢を見るんですか。」
「よく覚えてないんだよ・・・・。」
また嘘をつく・・・もう何回、繰り返されたことか・・・。



「とにかく!」
邑輝は都筑の身体の向きを変えさせる。
少し気怠そうな表情を見つめる。
「あそこには近寄らないこと約束してください。」
「でも・・・」
「いいですね、医者としての命令です。」
「そんな大げさな。」
「都筑さん!」
呆れたように笑う都筑は邑輝の首に手を回す。
「・・・わかった・・・わかったよ。何をそんなに気にしてるんだか。」
「・・・・怖いんですよ。」
「怖い?」
「あなたがあなたでなくなりそうで。」
都筑が笑いを止める。

優しさの下にあるものは何?


「・・・・・じゃあ、眠らせて・・・・もう一度。」
目を瞑り、顔を寄せてきた都筑に、邑輝は少し迷い、そして口づけを落とした・・・・。






屋敷に来て間もなくの頃、邑輝の書斎で見つけた、あの写真。
以前にも一度見たことがあるそれは生前の自分だという。
白いベッドの上に包帯をして横たわり、何も食さず、飲まず、そして眠らなかったという。
今となってはその時の記憶はない。
けれどその写真の中の人物は明らかに自分で・・・。
今でも大切に保管してあるそれを見たとき、分からなくなった。
邑輝が求めるのはどっちだろう。
目の前にいる自分?
それともこの写真の中の自分?


・・・・・もしそうなら・・・・・どうすればいいんだ・・・。


共に暮らし、愛を語り合ってもその思いは消えない。
どんなに優しい言葉をかけられても、消えなかった。
ならいっそ、この写真のように壊れてしまえばいいのか・・・・。
薔薇に多く触れた日はもう一人の自分に出会えることにも気づいた。


与えられる快感の中でもう一人の自分が囁く。

もういいだろう・・・。
もう何も見なくても・・・
もう何も聞かなくても・・・
楽になれよ・・・と。

薔薇の香りに溺れる。
救いのない、出口のない想いが大きくなる。

もっともっと強く!強く!
お前の全てが見えるように・・・・もっともっと。




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