あれ・・・・?!
日射しも暖かくなった午後。
こっそり部屋を抜けだして、やってきた研究室。いつものように勢いよく扉を開けた都筑をかすかな香りが包んだ。
・・・何の香りだろう・・・
少し甘くて、でも爽やかな香り・・・都筑は研究室とは名ばかりの雑然とした部屋を見渡す。途中、ビーカーに入れられたままの珈琲に目がとまり、思わず吹き出した。
この部屋の主はいつも手近なもので事を済ます傾向があるようだ。
都筑はそれに近づくとそっと触ってみる。
さっきまで温められていたのだろう、ほんのりと熱が伝わってくる。
脇には飲みかけのカップもあった。
・・・すぐ戻ってくるんだろうか・・・
何となく顔が見たくて、仕事を抜け出して来たのだけど。


その時、開け放した窓から少し強めの風が吹き、再びあの香りが漂った。
香りの主を捜していたことを思い出し、改めて都筑は再び部屋を見渡す。
机の上、棚の上、そして床・・・奥のソファが置いてある部屋まで行って探した。
その間もずっとかすかな香りが漂っていた。


何となく窓を見る。すると窓際の棚のところのカーテンがほんの一部分だけが少し膨らんでいるのに気付いた。
「?」
都筑は首をかしげながら、覆い被さっているカーテンをのけてみる。
と、そこには小さな鉢に植えられた木があった。
「・・・梅だよね・・・?」
可憐な姿に思わず都筑が呟いた。小さな枝に可愛い花をつけた梅の木。どうやらこれが香りの正体のようだ。
都筑は近くの椅子を引き寄せて座り込み、間近でその花を眺めた。
白い小さな花びらに黄色い花芯・・・・
可愛いなあ・・・と思うと同時に、その色の組み合わせが一人の人物を思い出させてくれる。
都筑は自然と顔が綻んでくるのを止めることは出来なかった。





「何処行ったんや、あいつ・・・」
上着だけ掛けられた都筑の席を見ながら亘理は溜息をついた。
・・・せっかくいいもん、見せたろうと思ったのに・・・・
さっきから中庭やら食堂やら、挙げ句の果てには課長室まで顔を出して探したのに何処にもいなくて。
「行きそうな所、全部見たんやけどなあ〜」
誰もいない部屋を見渡して呟く。
都筑を見つけられないだけでなく、課長室にいた巽に愚痴を聞かされる羽目になった。
どうやらいつものように提出書類をほっぽり出しているようだ。
『見つけたら引っ張ってきて下さいね!』と巽に念を押され、ようやく解放されたのだが、やっぱり都筑は戻ってきていなかった。
「しゃあないなあ・・・」
今朝出張から戻ってきてまだ一度も顔を見ていない。
いつも見ている笑顔に会えないと、どうも落ち着かず探していたのだが・・・。

亘理はぽんぽんと都筑の椅子を叩くと部屋を後にして研究室へと向かった。





「ありゃ。」
扉を開けてつい声をあげてしまい、慌てて口を押さえる。
静かに後ろ手で扉を閉めて、足音を立てずに窓辺に近づく。
・・・・こりゃあまあ、気持ちよさそうに・・・・
亘理は梅の鉢の前で両腕を枕にして眠りについている都筑の顔を見下した。
すーすーと静かな寝息が聞こえる。

柔らかい風に吹かれて顔に掛かる髪の毛が揺れる様子に思わず微笑んだ。
亘理は羽織っていた白衣を脱いで、寝込んでいる都筑にかけてやる。
どうやら見せたい物は先に見つかったらしい。
色んな所を探して見つからなかった都筑が、実は自分の部屋にいた・・・亘理はそのことが妙に嬉しくて、さっきまでの疲れが消えていくように感じた。
時がやさしく過ぎていくように思える。
・・・少し片付けるか・・・
寝ている都筑をそのままに、音を立てないように机の上の物を除けはじめた。





カタカタカタ・・・
遠くで聞こえる小さな音。
少しずつ戻ってくる意識の中で、再びあの香りが鼻をくすぐった。
・・・いい香り・・・
それを意識すると同時に部屋の中の音が耳の中に入ってきた。
都筑はむっくりと頭を上げる。
カサッっと布が肌をさすった。
・・・白衣?・・・・
肩にかけられていた服を引き上げて顔を寄せる。
ほんのりと薬品の匂いのするそれは不思議と気分を落ち着かせてくれた。
・・・寝ちゃったんだ、俺・・・
まだ目覚めきってない頭を軽く振りながら都筑は立ち上がり、規則的に聞こえる音の方へと足を進めた。

「亘理?」
都筑はPCに向かっている背中に声をかける。
「なんや、起こしてもうたか?」
振り向かずに応えてくる亘理に都筑は首を振った。
「ううん・・・・あ、ありがとうこれ、かけてくれて。」
その言葉にようやくキリがいい所まで打ち込んだのか亘理が振り向いた。
「まだ肌寒いからな、風邪ひくで、あんな所でうたた寝しとると。」
「うん、ありがと・・・・あ、あれどうしたんだ?」
普段よりも温かく見つめてくる瞳にドキドキしながらも都筑は鉢を指さす。
「ああ、梅か?地上で、仕事の対象者が育てていた物らしくてな、くれたんや。」
「亘理に?」
「なんや話しこんどったらな、妙に気に入られてしもうて・・・・」
「へえ・・・・。」


都筑は梅に近づいてそっと花びらに触れる。
大切に大切に愛情を込めて育ててきたもの、それは綺麗な花を咲かしていることでよく分かる・・・・
この主人はさぞかしこれを遺して逝くのは辛かったはずだ。
都筑は悲しそうに梅を見る。
遺していく悲しみ・・・・それは人でも植物でもきっと同じだろう。
この遺された梅の木もそのことに気付いているのだろうか。
いつも愛でてくれた人がもう側にはいない・・・・ということに。


「それくれた人なあ、笑っとたわ。」
「えっ?」
俯いていた顔を上げるといつの間にか亘理も都筑の側に立っていた。
「今度生まれてくる時は木に生まれ代わる!とか言ってな。それまで預かってくれ!て言われたんや。並んで植えて欲しいらしいわ。枯らしたりしたら祟って出るぞ、とまで脅された・・・。」
元気なじいさんやったな・・・その時を思いだし、はあ〜と溜息をつく。
その様子に都筑はくすっと笑みをこぼす。
「・・・強い人なんだね・・・・その人。・・・・・じゃあ亘理、責任重大じゃん!」
「ああ、そうやな上手く育てんとな。」
祟られたら嫌やし・・・・と嘆く亘理に、けらけらと都筑が笑った。
そして改めて鉢を眺める。
手塩にかけて育てた梅の木とまた生を共にしたい・・・その願いが叶うことは難しいかも知れないけれど・・・それでも・・・と願わずにはいられない。
叶うといいね・・・・都筑は心の中で呟いた。

「で、物は相談なんやけど・・・」
「何?」
「手伝ってくれへんか?」
「え?」
「これ育てるの・・・・俺、園芸には詳しくないねん。」
「いいけど・・・俺もあまり詳しくないよ、盆栽は。」
「俺よりましやろ?」
「そうかなあ〜。・・・・でも俺で出来ることなら何でもするよ!」
ありがとな、そう言ってウィンクをする亘理の顔を見つめる。
この顔が見たくて、今日ここで待っていた。いつも元気をくれる笑顔。

「あっ!」
「な、なんや?」
突然あげた都筑の声に亘理が驚く。
「ど、どうしよう・・・・俺、仕事そのままで此処に来ていたんだ・・・・。」
「ああそう言えば、巽に見つけたら引っ張って来いって言われてたわ。」
「ひぇ〜。」
怒った巽の顔が浮かぶ。帰ったら雷が落とされるのは確実だ、もう抜け出して2時間は経っている。
「じゃあ、戻る・・・」
都筑はがっくり肩を落として手にしていた白衣を亘理に差し出す。
「ごめんね、邪魔して・・・」
亘理が白衣を受け取る・・・・と同時に都筑の腕を掴んだ。
「どうせ遅れついでや、珈琲でも飲んでいかん?」
「え?でも・・・・・」
「嫌か?」
じっと見つめてくるいつになく真剣な目に都筑は息をのむ。
「・・・・嫌じゃない・・・・・俺もそうしたい。」
・・・そうしたくて、此処にいたのだから・・・・
ふっと笑った都筑の顔に、亘理も笑う。
「じゃ、決まりやな。お菓子はあるで、なんたって出張明けやし。」
「ホント?やったー! あ、でもビーカーで珈琲は入れないで欲しいな。」
「何で?同じやん。」
「俺は嫌なの!」
「細かいなあ〜意外と。」
「これが普通だよ、亘理がおかしいんだよ。」
「お前におかしいって言われたら、おしまいやな・・・。」
「ちょっと何だよ、それー!」


お互いに小突き合いながら、笑いながら、いつもの時間が過ぎていく。
心の中の小さな想いが形になるのはいつのことだろう。

でも・・・
それがそう遠くない日であることは、小さな梅の木だけが知っていた。



ある穏やかな春の昼下がり・・・・明るい笑い声と甘い香り。
それはお互いにとって大切な、大切なひととき。
やさしい香りに包まれて過ごす、かけがえのない時間。

2002・3・12
M・Hinase

★20240番のキリ番リクエストです。
リクエスト内容は亘都で「亘理の想いに、実は都筑も・・・」というハッピーエンドに・・・という物でしたが。
こんなことに・・・(>_<)。
デートに誘ってもなければ、はっきりとした意思表示が無いままに終わってしまいました。(kissもない・・・・)
ああ、ごめんなさい〜。いつもながらリクエストに沿ってなくて・・・・私の中ではこれからが二人のスタートということでハッピーなのですが。
でもどうしても梅と二人を絡ませたかったので、こんな内容に。
少しでも気に入って頂けると嬉しいです(^_^;)。