「二人」 〜清水の役得(?)〜
| タタッ───── スタッフの大部分がスタジオから引き上げ、比較的静かになってきた局の廊下に、 一瞬響いた忙しげな足音。 『香藤……さん?』 清水は思わず控え室のドアを見つめたが、誰も入ってはこなかった。 違ったのか、と、傍らで横になっている岩城の方に向き直った瞬間、 コンコン、という小さなノック音。 清水の「はい」という返事に続いて、 カチャ……リ 至極遠慮がちにドアノブをまわす音がした。 「まぁ、香藤さん………そんなに……大丈夫ですか?」 清水はびっくりして、座っていた椅子から立ち上がり声をあげた。 そこには、はぁはぁと肩で息をする香藤の姿があった。 自宅から車を飛ばし、局の駐車場からはたぶん、階段でも駆け昇ってきたのだろう。 岩城の控え室前で、いきなりその動きと音を押し殺したと思われる香藤。 吹き出た汗が、一つ二つ、玉となってひたいに浮かんでいる。 しかし、忙しく呼吸しながらも、視線はしっかりと清水の後ろのソファーに横たわる 岩城に注がれていた。 「すいませんっ、清水さん……岩城さんの具合、どうです、か?」 とぎれとぎれに、香藤はそこでいったん大きく一つ深呼吸し、清水に視線を向けた。 「はい………幸い、スタジオからこちらに移動してからは、 一応吐き気は収まって落ち着かれていたようです。 でも、お仕事終えられた安心感で、きっと気が緩まれたんだと思います。 私が何度か出入りしている間に、眠ってしまわれたようです」 「そうですか………」 とりあえず、清水のその言葉にホッと胸を撫で下ろした香藤は、 再び岩城に視線を戻すと、ゆっくりとその傍らにしゃがみ込んだ。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 話は数時間前に遡る。 岩城は相変わらず忙しい日々を送っていたが、今日は朝からドラマの撮影。 3時過ぎに某雑誌からの取材を受け、夕方からは食品メーカーのCM撮影の為、 この局のスタジオに移動していた。 そんな中、時刻も7時を過ぎた頃、撮影が一旦休憩となり、 気を利かせたメーカー側から弁当が差し入れられた。 しかし、岩城はその弁当にはひと口も箸をつけず、 休憩時に清水に頼んでおいた自販機の紅茶を少し口にしただけであった。 「岩城さん……あのぅ……大丈夫ですか?」 ふと聞こえてきた清水の声に、岩城はハッとして慌てて顔を上げた。 「あっ………すいません、清水さん。大丈夫です」 「それならいいんですが、お顔の色が……」 心配そうに岩城の様子を伺う清水に、岩城は苦笑を返した。 昨日辺りから何となく岩城の顔色がよくない。食欲もない。 ここのところのハードスケジュールによる疲れと睡眠不足──── ここ暫くまともな休みが取れていなかった。 それでも文句の一つも言わない岩城。 売れっ子であり、既に事務所の大看板でもある岩城を、 世間も事務所も放っておいてはくれない。 岩城自身も、事務所の期待を背負う責任を十分に自覚しているのだろう。 だが清水は、そんな岩城だからこそ、何とかして一日でもオフを取らせたかった。 いくらなんでも岩城は働き過ぎだと彼女は思っていた。 密に、清水は数日前から岩城のスケジュールを調整しまくり、 あちらこちらに手をまわし頭を下げてまわった。 その甲斐あって、やっとの思いで明日から一日半だけだが、岩城のオフを もぎ取ることに彼女は成功したのだ。 「えっ?!オフ、ですか?こんな忙しい時期に……ほんとに? そんな……清水さんこそ無理して……大丈夫なんですか? あっちこっちに、頭下げまくってくださったんじゃ…… ………………ありがとうございます。嬉しいです。 ………せっかくの清水さんの頑張りを無駄にしないように、 明日は俺も、いつも以上に張り切らないといけませんね」 昨夜遅くになって話を聞かされた岩城は、清水のことを気遣いつつも、 嬉しそうにホッした表情でそう言った。 その言葉通り、彼は今日も朝から精力的に仕事に取り組んでいた。 しかしながら、ここのところの連日の疲れやストレスの蓄積。 時間がたつにつれ、岩城の状態が悪くなっていくのは自然な成り行きとも思えた。 人間が精神で持ち堪えられる範囲には、やはり限界があるものだ。 「岩城さん……お食事、お昼もあまり召し上がらなかったですよね。 お体持ちません。 食べられそうなら何でも、私 ご用意しますから……… どうぞ遠慮なさらずに仰って下さい」 少し控えめに、清水がまたそう言うと、岩城は再び苦笑して首を横に振った。 「いえ………心配かけてすいません。 何だか食欲なくて……でも、大丈夫ですから。 それに、今夜を乗り切れば、明日は清水さんのおかげで休めますし。 気を引き締めて、もうひと頑張りです」 「そう───ですね……やっと休んでいただけます…… 本当にお疲れ様です。 でも、何でも……お口にできそうなものがあれば、仰って下さいね」 「はい、ありがとうございます。清水さん」 撮影自体は順調に撮りを重ね、岩城もそんな調子の悪さなど、 表には微塵も見せなかった。 休憩時間になると、たとえ休憩用の椅子にもたれかかるように目を閉じ、 眉間に皺を寄せていても。 プロとしての意地が岩城の精神を支えていた。 …………………………… それにしても空気が悪い。 このスタジオ内に立ち込める食品独特の匂いも、気分を悪くさせる一つの原因だった。 そして時刻は既に9時をまわり、やっと今回の最終の撮りとなった。 岩城と他の出演者との会話と食事シーン。 岩城は背筋をピンと伸ばし、セットの中でカメラに笑顔を向ける。 二口、三口、手にした皿の料理を口に運び、パート1、パート2。テイク1、テイク2。 最終パートはすんなりとOKとなり、今夜の収録は全て完了した。 しかし、監督の口から発せられたそのOKの声とほぼ同時に、 普段ならば「お疲れ様でした〜」の声がかかるであろう、まさにその瞬間。 いきなり口元を押さえた岩城が、真っ青な顔でスタジオを飛び出していってしまった。 唖然としたスタッフや共演者達は、思わずその声を飲み込んだ。 しばらくして、スタッフの一人に付き添われ廊下に姿を現した岩城の顔色に、 清水は岩城が嘔吐したことを悟った。 とりあえず控え室のソファーに岩城を休ませ、岩城が落ち着いたことを確認すると、 再び廊下に出た清水は、少し迷いながらも思いきって携帯を取り出した。 普段なら、公私混同を良しとしない岩城の為にも、 そういう差し出がましいことはしない清水ではあったのだが。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「岩城さん、すぅすぅ寝ちゃってますね……」 岩城の白い顔をじっと見つめながら香藤は呟いた。 「ええ………こんなに………………申し訳ない気持ちで一杯です。 明日がオフだということもあって、 きっと一気にお疲れが出てしまわれたんだと思います。 朝からあまり食べていらっしゃらなかったのに、 撮影で何度も刺激物を口にされたのが引き金になったと思います。 スタジオの空気も悪すぎました。それは誰もが感じていました。 ─────ほんとなら、いつものように私がご自宅までお送りするんですが、 こういう時は、私より香藤さんの方が安心されるかと思いまして、 岩城さんには黙って………私単独に動きました。 何かご迷惑にならなかったのならいいのですが……」 「何言うんですか清水さん!そんな………俺、ほんとに感謝してます。 あっ……俺、まだお礼もちゃんと言って────すいません!清水さん。 本当にありがとうございました!! さっき連絡いただいた時は、さすがに俺もびっくりしちゃいましたけど。 状況伺って大体のことはわかりました。 連絡、ありがたかったです。 岩城さんだって、きっと喜んでくれると思うし……ありがとうございます!」 岩城のことを心配するがあまり、清水に、まだひと言の礼も言ってなかったことに 気付いた香藤。 慌てて立ち上がり、そう言って清水に深々と頭を下げた。 「いいえ!とんでもないです……でも、香藤さんこそ大丈夫でしたか?」 「あぁ、はい〜〜大丈夫です。電話では慌てちゃってすいません。 ちゃんと安全運転してきましたから(笑) それに今日は俺、夕方には帰ってましたし、実は明日は俺もオフなんですよ! ゆうべ遅くに、岩城さんからオフ取れたぞって話聞いて、 やったね〜っ!て喜んでたんですけど…………… でも、岩城さんのこの寝顔見たら、ちょっと安心しました。 いつもより顔色は白いけど、もどした割には結構穏やかな顔で眠ってますもんね」 香藤はいささか乱れた髪をかきあげながら、少し苦笑気味に笑った。 「たぶん、眠ったばっかだろから、起こすのはちょっと可哀想だけど、 このままだと岩城さん、後で余計辛いだろし……… お姫様抱っこ、なんてやらかしたら、この人 しばらく口きいてくんないだろなぁ〜 俺は全然平気なんですけど、ね(笑) 一旦起こして連れて帰ろうと思います。 いいですか?清水さん」 清水のことも気遣ってくれているのだろう。冗談まじりにそう笑う香藤につられて、 清水の緊張も少し緩み、クスッと小さな笑いが漏れた。 「そうですね。その方が………お願いできますか?」 「はい」と微笑んだ香藤は、再び岩城の傍らにしゃがみ込んで、 毛布から覗く岩城の肩口に手を伸ばしかけた。 だが、彼はふとその動きを止めてしまった。 穏やかな寝顔で睡眠を貪っている岩城の眠りを妨げてしまうことに、 やはり躊躇しているのかもしれない。 そのまま岩城のことを見つめているのだろう。 あいにく清水の位置から香藤の顔は見えないが、そんな香藤の心が伝わってくるようで、 清水の口元には自然と優しげな微笑が浮かんだ。 そのまま、僅かな時間ではあるが、部屋には静かな時間が流れた。 時折、わずかに響いてくる建物内外からの小さな雑音を除けば、 岩城のたてている小さな寝息だけが、この殺風景な部屋に聞こえていた。 ─────と、普段の香藤より、幾分低めの声が清水の耳に届いてきた。 「岩城さん……ほんとによく眠ってる……………… 前に、ね────── まだ冬蝉撮ってる時。 俺も、夜中に吐いたことがあるんです。 そしたら、気付いてくれた岩城さんが、 すごく嬉しいこと……至極当たり前みたいに言ってくれて。 もう、俺………たまんなかった。 岩城さんて、普段はあんまりべらべらと喋らないでしょう。 でもその分、時々俺でもびっくりするくらい…… 理路整然と、俺が泣きたくなるような厳しいこと言ったり。 時には、俺でも考えつかないような突飛なことまでして、 俺を怒らせてまで………諭してくれる。 俺の為に。 全部、俺のこと思って。 ………でも可笑しいんですよ。 逆に優しいことや嬉しいこと、言ってくれたりしてくれたり………する時、 この人無自覚なんです。自分で気付いてない。 いっつも、無意識に俺を甘やかしてくれて───── そんな岩城さんの全部に、俺は……… 俺の全てを受け入れてくれてるこの人の存在に、胸が熱くなって。 バカみたいに何度でも思うんです。 この人は、何があっても必ず俺が守るんだ!って。 だからね、こんな時、出来るだけ側にいてあげたい。 ううん…… 岩城さんは決して弱い人間じゃないし、俺が側にいたいだけ。 そう。 守ってるつもりで……… 守られてるの、いっつも俺の方だったりして。 いつまでたっても、この人にかなわない…… でも………………守りたいんです。 うまく言えないけど、 何があっても、なくても、岩城さんを守るのは絶対に俺なんだって。 ……………………………………あ、あれ?」 そこまで言って、香藤はハッとして清水を振り返った。 そこには満面笑みでニコニコ顔の清水。 「すいません!清水さん。 俺、こんな時に何語ってんだか」 「いいえ。ご馳走様です!フフフ… こんなに香藤さんに想われて、本当に幸せな方ですね、岩城さん」 「え?……… やだな〜〜清水さん。俺が!だからねっ?」 「ま……」 清水は、相変わらず臆面もなくそんなことを言ってのけるの香藤に、 益々目元を細めた。 「でも……今の話、岩城さんには内緒だよ?清水さん。 この人、照れるとすぐ『ばか!』だからね(笑) ンフッ、そこがまた可愛いんだけどさ(盛大なウインク)」 「はいはい、わかりました(笑)」 「岩城さん?………岩城さん、起きて?……………岩城さん?」 香藤の何度目かの呼びかけで、ようやく岩城の瞼がピクッと震えた。 香藤と清水の話し声に気付きもしなかった岩城。 普段では考えられない。余程深い眠りに入っていたのだろう。 瞬きを数度繰り返し、ボウッとした黒い瞳が中から覗いた。 少し眠ったお陰か、顔色はやや戻ってきているようだった。 「岩城さん、俺だよ?………大丈夫?」 まだ意識が朦朧としているのだろう。 緩慢な動きで香藤の声のする方へ顔を向けた岩城は、 ようやくそこに愛しい男の存在を認識したようだった。 一瞬、ひどく驚いて香藤を見つめたが、 自分を一心に見つめる香藤のその笑顔に、フッと全身の力を抜き、 すぐさまその目元を柔らかに染め上げた。 そして、 「かと……」 と、ひと言。ひどく掠れた声でその名を呼ぶと、岩城は微笑んだ。 開花を待ち望んでいた花が太陽に導かれ、 その期を知り綻んでいくように……鮮やかに、華やかに。 仕事では滅多と見られない、穏やかでいて、しかも、 何よりも岩城自身が幸せそうな極上の微笑み。 「お疲れ……岩城さん。だい じょぶ? 迎えにきたからね。一緒に帰ろ?」 香藤のその言葉に、香藤と見つめあう岩城のその表情が、更に変化した。 顔色こそまだ幾分白っぽかったが、それは見る者全てをとりこにしてしまう、 そんな魅惑的な、ある種エロティックな微笑みだった。 清水が気を利かせて、そっとドア近くまで移動していたせいもあるのだろう。 今の岩城の視界には、香藤ただ一人しか映ってはいない。 普段、誰にも向けられることのない、その潤んだ甘い視線。 これが、香藤ただ一人にのみ岩城が見せる素顔なのだろう。 清水はそっと岩城から視線をはずした。 ──────だが、しばらくしてもういいだろうかと。 そっと二人に視線を戻した清水の目に飛び込んできたのは、 まさに驚くべき珍しい?光景だった。 疲れきっていたところに、もどして、短時間だが熟睡。 寝起きの頭。そして愛すべき香藤の出現。 気の毒にv たぶんここがどこかも、周りも見えていない岩城。 更に岩城の元へと体を寄せた香藤の首に、なんと岩城自らが腕を──── 目を閉じ、香藤の首根っこに抱きついてしまっている格好だ。 さすがの清水も、これには思わずびっくりして目が吸い寄せられてしまった。 「岩城さん………これ……………… 嬉しいんだけど………俺ぇ、めちゃくちゃ嬉しいんだけど…… でも、さ……きっと驚いちゃってるよ?清水さん」 「? ? ………え?…………………っ!!!!!」 その瞬間、香藤の肩越しに清水と目があってしまった岩城は、 完全にフリーズ。 一瞬で項まで、真っ赤っか。 思わず後ろ向きに口元を押さえて肩を振るわせる清水。 岩城のフリーズが溶けた瞬間、ものすごい勢いで岩城に押し返され、 床の上に尻餅をついてしまった香藤。 『明日は病院は………大丈夫そっかなぁ〜?』 目覚めて、案外元気そうな岩城の反応に、香藤の口元に笑みが浮かんだ。 しどろもどろに慌てまくる、照れやで可愛い年上の恋人。 しばし蕩けるような笑顔で、そんな岩城を優しく見つめていた香藤であった。 このお話を書くにあたり、当初ある方に大変お世話になりました。 この場を借りてひと言お礼を記させてくださいませ。 色々と……本当にありがとうございましたm(_ _)m 2006.6月 byすふらん |
きゃあ〜岩城さんったらなんて可愛い!
そしてこんな甘い甘い岩城さんの表情を
見ることが出来た清水さん・・・・いいなあv(^o^)
まさしく役得ですね!
でも・・・間で語られる二人の岩城さんへの想い・・・
胸がじーんとしますよね・・・v
タイトルの「二人」は岩城さんと香藤くんは勿論ですが
岩城さんを大切に想う香藤くんと清水さんのことも含まれてそうで
とっても素敵なタイトルだと思います
このふたりの会話・・・素敵ですv
すふらんさん、素敵なお話を本当にありがとうございますv