【 Wating for you 】


 
 
 久し振りに何の予定も入っていない休日の遅い朝。
 自室で眠りを貪っていた跡部は、胸の上の微かな重みと、次いで頬に触れた暖かな感触にうっすらと瞳を開けた。
 
「……ご主人様の代わりのつもりか?」
 
 おはようと声を掛けてやる、自分とよく似た蒼い色彩を湛えた大きな瞳の黒猫は。
 柔らかな微笑みを浮かべた跡部に、その通り、とでも言うように返事をした。
 
 休日に、跡部を起こすのはこの猫の飼い主で。
 目覚めを促すのは、頬に触れる彼のその唇で。
 瞳を開いて最初に見るのは、彼の笑顔。
 最初に聞くのは、彼の優しい声。
 その声に応じた後には、決まって触れるだけの口付をした。
 
 いつもそっと指に絡める彼の黒髪の代わりに、柔らかい黒い毛並みに触れる。
 喉を擽ってやると瞳を細めて喉を鳴らし、強請るように跡部の頬へと擦り寄って来た。
 
「くすぐってぇよ、コラ」
 
 ゴロゴロと喉を鳴らし続ける猫の身体を捕まえ布団の中に抱き込み、このままもう一度眠ってしまおうかと考えてみる。
 どうせ起きた所で、別にする事も無い。
 いや、する気が起きないと言った方が正しいのかもしれない。
 
 
 
  
     1週間位、向こうに帰らなあかんのや。
 
 
 
 
 互いの心の中まで、触れ合うようになってから初めての、彼の不在。
 顔を見ずに抱き締めながら告げて来た言葉から、それが止むを得ない事情だと察した。
 自分の事を語りたがらない彼だったから、深く追求せず。代わりに聞いたのは、部室に現れるようになってから、何時の間にか彼の飼い猫と化していた猫の事。
 必要な分の食事と水と換気にさえ気をつければ、部屋に置いて行く事も可能だし、時折様子を見に来てくれれば良いと言った彼に対して、預かっても良いと言い出したのは自分の方だ。
 
 横たわった跡部の腕にちょこんと頭を乗せ、喉を鳴らし続ける猫の姿を見ながら、それが正解だったと思い返してみる。
 普段ならばここまで大人しく人間の腕の中にいない気紛れな、彼の飼い猫。
 孤独が当たり前だった日々から、甘える事や縋る事、自分以外の温もりを知ってしまったら。
 それが欠けた時、一人きりで待つ辛さは大きすぎる。
  
 
 
 
     ごめんな。
     週末戻る予定が、もう暫くこっちに居らなあかん事になってな。
 
 
     本当、ごめんな…。
 
 
 
  
 余り連絡が出来ないかもしれないと予め聞いてはいたが、3日前にやっと聞く事が出来た、けれど少し翳っていた声が蘇って来て。
 小さく暖かな身体を抱き寄せて、瞳を閉じる。
 
 
「お前だって、早く帰って来て欲しいよな……。なぁ?」
 
 
 一人で待っているワケでは無いとは言え、だからと言って欠けてしまっているものを補えると言う事でも無い。
 やがて猫の喉の音が小さくなり、それにつられて跡部も瞼が落ちそうになった時、枕元に転がしていた携帯が着信を告げた。
 ディスプレイの表示名を確認するまでも無い。名前を尋ねる必要も無い。
 この時間に自分の眠りを妨げようと、目覚めを促そうとするのは、たった一人しかいないから。
 
 
「……何だよ」
 短いコール数で繋げる事を、それを待ちわびていたと悟られるのが癪で、わざと不機嫌な声を出してみた。
『何や、起きてたん?』
 モーニングコールやったのに。
 と、残念がる声に翳りが無い事に、安堵する。
 
「起こされた。お前のネコに」
『ああ。ちゃんとけーちゃんは、景ちゃんの面倒見てくれてんのか。俺の代わりに』
「………バーカ」
『あー。何か久々に聞くわ、景ちゃんのそれ』
「ふん。もっと言ってやろうか?バーカ、バーカ。大馬鹿野郎」
『いや、別に連呼せえなんて言うてないやろ。しかも最後の、何やそれ』
「てめぇが本当に馬鹿な事、言うからだ。バーカ」
 
 微かに聞こえる主の声に気が付いたのか、携帯を持っている跡部の手に猫が擦り寄った。
 その頭を空いた片手で撫でながら、小さく呟く。
 
 
「……お前の代わりになるもんなんて、いるわけねぇだろう…」
 
 
 携帯の向こうでふっと笑う気配が伝わって、跡部は瞳を伏せた。
 瞳を閉じれば自分だけが知っている彼の笑顔が、容易に浮かぶ。
 
『景吾』
「………」
 
 直接、耳へと届く声は抱き締める腕の力を思い起こすかのように、低く甘く響いて。
 彼の姿を求めて鳴く猫の温もりが無ければ、不覚にも涙を零しそうな程に。
 
『愛してる。景吾』
「………」 
 
 
 逢いたい、と。
 
 声に出しそうになった言葉を、飲み込む。
 
『ごめんな。もう少しだけ、待ってて』
「…謝んな、バカ。…仕方ねぇ事なんだし」
『ん、ありがとな。…なぁ、景吾。お願い、あるんやけど』
「んだよ」
『俺にも、言って?』
 
 
「………」 
『“好き”って、言って』
「………」
 
 
『景吾もおらん。けーちゃんもおらん。それがこんなに辛いなんて、思ってもいなかったわ』
「侑、士……」
『ん?』
「……  」
 
 
 うにゃぁぁぁぁぁぁぉぅぅ
 
 
『け、けーちゃん…か?』
 
 猫でも遠吠えするのかと思った程の渾身の鳴き声に、跡部が思わず瞳を開けると携帯に顔を近づけ、にゃあにゃあと鳴く姿が間近にあった。
 そう、彼を待っているのは自分だけでは無かった。
 跡部の言葉を遮って自分の存在をアピールする猫へ、携帯を向けてやる。
 
『ああ、けーちゃんも、ええ子にしとる?』
 
 聞こえてくる声に返事をするその姿へ、思わず笑った。
 携帯の向こうの彼を呼ぶ猫に、ごめんなと告げてから再び耳を当てる。
 
 
「届いたか、コイツのメッセージ」
『景ちゃんとけーちゃんに愛されまくって、侑士君は幸せモンや』
「言ってろ、バーカ」
『…で?さっきの続きは?』
「…言ったぞ、俺は」
『けーちゃんの声で、聞けんかった。な、もう一回言って』
 
 
「………携帯に向って言うなんてつまんねぇ」
『…景吾?』
 
「直接、言ってやるよ。……帰ってきたら、な」
 
 
 声が聞けない時には、せめて声だけでもと願っていたくせに。声が届いて言葉を交わせば、今度は温もりが欲しくなる。
 一つ手にしたらもう一つ、と。
 どこまでも貪欲になる自分を、初めて知った。
 
 
『何か今すぐ、帰りたくなったわ』
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。ちゃんとやる事やってから帰って来い」
『せやな。暫くこっちに来なくても済む様にな。……もう、景吾に寂しい思いさせたないし』
「は、寂しがってんのはお前の方だろうが」
『そう言う事にしとこか。そのかわり、帰ったらちゃんと聞かせてな?』
 
 
 
  ……俺の腕の中で
 
 
 
 付け加えられた一言に返したのは言葉では無く。
 小さく頷いただけ。
 
 けれど。
 彼にはきっと、伝わっただろう。
 
 
 
 
 
 
 

-END-

2003.06.16
あずまゆみ@Hard Passion

いつもお世話になっている、あずま様のサイト5000hitの記念フリーSSですv
あずま様が書かれる跡部は女王の貫禄がたっぷりなのですが、こちらはどことなく姫な感じでこれまたたまりません〜可愛いの!
こんな跡部様の素敵な表情を沢山書かれるあずま様に、これからもついて行くぞ!と誓った私です(笑)。
あずま様のサイトへはリンク部屋よりどうぞvvv