| 【5.そして・・・】 小さなノックの後に入ってきた姿を見て、彼は微笑んだ。 昨日よりもよりはっきりとした輪郭に、不安な色が浮かんでいる。 あの後、しばらく動くことのなかった影は、陽が山に完全に隠れたころにようやく離れ、そして別れていった。 何度も何度も扉の前に立つ青年を振り返りながら、最後は振り切るように庭を出ていったもう一つの影の主。 残され一人になってからも泣き続けたに違いない、その青年に彼は傍に来るようにと手をさしのべた。 窓辺に二人して立った。 「あの・・・・」 今日こそは、今日こそは聞かなくてはいけない。 話さなくてはいけない。 自分のこと、彼のこと・・・・・そして桃矢とのこと。 「目が・・・」 「え?」 彼の手がゆきの頬に触れる。 「目が真っ赤になってしまいましたね。」 「・・・・・・」 ついさっきまで泣き続けた・・・・これで終わりではないと、桃矢は言ってくれたのに、悲しくて淋しくて、たまらなかった・・・・。 何か話せば、また涙が出そうで、ゆきは黙って彼を見つめていた。 「君には・・・・ずいぶん辛い思いをさせてしまいました。本当に申し訳ないと思っています。」 彼は空に輝く月を見上げる。 その横顔をゆきは見ていた。 「何から話せばいいのか・・・・・何処まで話せばいいのか、正直今の私は迷っています。話すことが君をその辛さから救ってあげることになるのか・・・・自信がありません。でも・・・・本当に・・・」 彼はもう一度ゆきのほうを見ると、髪に、頬に軽くふれ微笑む。 「あの青年と出会ってよかったですね。」 「・・・・・どうしてそんな哀しい顔をするのですか?」 自分に触れてくる手にそっと手を重ねゆきは尋ねた。 以前から気になっていたこと。 それはいつもではなかった。いつもは穏やかに笑っている彼が、ふとある瞬間に見せる表情、それが気になっていた。その瞳の中に深い深い想いがあるようで・・・・。 彼はその言葉を聞くとそっとゆきから手を離す。 この場に及んでも彼がまだ全てを話すのを迷っていることが、ゆきにも伝わってくる。でも、それでも、自分は全てを聞かなくてはならない。それから全ては始まるのだと、信じさせてくれた桃矢に為にも。 「・・・・・私は・・・・・・もう既にこの世にはいない人間です。」 しばらくの沈黙の後、彼は静かに口を開いた。 「い、いない・・・?」 ・・・・何を言っているのだろう、現に目の前に彼はいて、こうやって触ることも出来るというのに・・・・・・、ゆきの頭は混乱してしまう。 「今君の前にいる、そう君と暮らしはじめてからいる私は、いわば思念のようなものです。本当の私は・・・・既にいません。」 すうっと窓から目をゆきの方へと映す。 「そして・・・・・君は・・・・・・」 少しだけ辛そうに眉を寄せる彼は、そこで言葉を切った。 「・・・・僕は・・・・僕は何です? 何ですか?」 「君は、ユエのもう一つの姿。」 「ユエ・・・・」 こうやって面と向かって聞くことは初めての名。 けれど、その名を聞いた途端、沸きあがってくる懐かしさがあった。 覚えている限り、記憶にはないその名。 そう呼ばれたこともないのに、どうしてこんなに胸がさざめくのだろう・・・・。 「私が作ったあるものを守護するものとして、君たちを私が作った。」 ・・・・作った!?・・・・ 「君・・・・ユエの他にもう一人いる・・・・・同じ役目を果たすものが。・・・・その子は既に眠りについています。ユエも同じように、眠りにつかせるはずだった。」 語られる言葉に思考が着いていかない。 何を彼は言っているのだろう。僕は一体・・・・。 「でも・・・・私はもう少し、もう少しだけ、ユエと共に過ごしたかった。・・・・・・だから一度眠らせた彼を私と同じ思念という形で、呼び寄せここで暮らすことを決心したのです・・・・・・・でも、もう一度呼び戻したユエは、全ての記憶を封印されたまま起きてしまった・・・・・そう、自分が何であるかも、そして私が誰であるかも全て覚えていない状態で・・・・」 彼は哀しそうに微笑んだ。 「そ、それが・・・・・・・僕だと言うんですか。」 ゆっくり、ゆっくりと話す彼の様子に混乱していた頭が段々すっきりしてきた。 つまり・・・・自分は桃矢とは違うということ。 同じ世界に生きているものではないということ・・・・・。 そして同時に感じた、この人の深い悲しみ。 「そうです。・・・・・・でも私にはかまわなかった、君がユエの記憶を持っていなくても、姿形はそのままだったから。私は君の姿を見ているだけで、それだけで、いいと思っていました。」 私だけの記憶でいい・・・・私だけが覚えてればいいと・・・・。 「・・・・クロウさん。」 思わず呟いたゆきは、慌てて口を押さえた。 前に同じように呟いた時に、 『その呼び方はしないでください』 と、言われて以来口にしたことがなかった。 「いいんですよ・・・・もう。・・・・・君にそう呼ばれた時に、ああ、姿形は似ていても、もうユエではないんだな・・・とそう思い知らされました。だから呼んで欲しくなかった・・・・・すみません、私の我が儘です。」 「いえ・・・そんな。」 「毎日・・・・毎日、思い知らされました。君がユエとは違う人格を有していることに・・・・・そんなことは初めから分かっていたのに・・・・・。」 ・・・・・この人の瞳はなんて哀しいのだろう・・・・・・ 「そして・・・・君は彼に出会ったんです。」 「桃矢・・・・・」 「そう。今の君は彼によってつくられたのですよ・・・・。」 「え?」 「昨日の夕方、私の前に現れた君はもうユエの姿をしていなかった。そう、今のその姿だったのです。君自身には分かりにくいでしょうけれど・・・・。もうその時には君は君自身になっていたのです・・・・。」 「あの・・・・・おっしゃっていることが、よくわからなくて・・・。」 くすっと、彼は笑った。 「髪も短くなって、瞳は穏やかで・・・・・背は少し小さくなりましたか・・・・ユエも美しい・・・と思っていまいたが、君もまた違った美しい青年へとなりましたね。」 大きな瞳をこちらに向けてくるゆきを見て微笑んだ。 ユエとは違う柔らかな表情を持つ彼は、もう「ゆき」そのものだった。 彼の趣味もなかなかなものですね・・・、そう小さく呟く。 「あ、あの・・・・」 「すみません、分かりにくいことでしょうね、君には。」 一人で納得している彼に比べ、ゆきはよく理解できない。 ・・・・・桃矢が僕を・・・・?・・・・・ 「クロウさん・・・・あなたに僕は聞かなくてはならないことが、そして・・・」 「大丈夫・・・・・何もかも君のことは分かっていると言ったでしょう? 桃矢という青年のことも、よく分かっていますよ。」 「じゃあ・・・」 「でも・・・・・・そのためにはしばらく時間がいるのです。」 「え?時間って・・・・あっ」 急に目の前に出された手でゆきの視界が暗くなっていく。 ・・・・また、また眠るの? 嫌だ!・・・・いやだよ・・・桃矢・・・・・! 会いたい! 君に・・・・・・もう一度会いたい!・・・・・ 「ク、クロウさ・・・・・ん」 崩れ落ちる身体をふわりと支えた。自分の服にしがみつくゆきに想いの強さを感じる。その手を上から包み込んだ。 「本当に申し訳ありません・・・・・これ以上は時間も魔力も足らないのです・・・・・その代わり」 彼はゆきの額に口づけをおとす。 「君の希望は必ず・・・・・。」 彼はゆきの身体をそっと抱き上げ部屋を出て行った。 ベッドに横たわらせた身体が徐々に透けてくる。 ・・・・時間が来ましたね・・・・・ 自分自身の身体も同じようになってきたことを確認して、クロウは最後の魔力をゆきに・・・・・そして今この月を見上げているかも知れない桃矢へと飛ばした。ここでの数日間を、ゆきと桃矢の出会いの記憶がなくなるように・・・・・。 お互いへの思いも全て消えてしまうように・・・・・。 「残酷なことをしているのかもしれない・・・・・・。」 あの日、突然姿の変わった日。 予測していたことなのに、淋しくて哀しくてたまらなかった・・・・・自分のしていることが幻であることを思い知らされた。 けれど、いつまでもそれにしがみついていた自分。 このまま、このまま自分の想いは封印してしまおう。 誰よりも何よりも愛しい、愛しい存在・・・・大切なもの・・・・。 「いつまでも一緒にいたかった・・・・。」 この想いが愛するものは知らずにいることだろう。 おそらくそう遠くない日に、この子はあの青年とは再び出会う。 それは分かっていた。 でもどうしても決まらなかった仮の姿。時間が徐々になくなる中、なかなか諦めきれない想い。 ユエの姿をどうしても追ってしまう自分・・・・・それをあの青年がいい意味で断ち切ってくれた。 いつかは踏み出さなければならない一歩。 名前も、そう違わないものにしましょう、またその名で呼んで貰えるように・・・・ そして姿も彼が描いたこの姿で・・・・。 「今までありがとう・・・・・そしてさようなら。」 消えていく姿を見つめる。 ここで過ごした記憶は全て消えてしまうけれど、また新たな時を刻むために・・・・。 新たな主と出会うために。 「絶対とは言えないけれど・・・・・いくつかの奇跡を用意しておきます。」 それを見落とさないように・・・・。 小さな、小さな奇跡を君に与えます。 「君たちが幸せな時間を過ごせますように・・・・・・」 どうか幸せに・・・・。 そう呟いてクロウが消えると同時にゆきの身体も消え、そして館も庭も全てが消えた・・・・・。 何もなかったかのように、百合一輪残すこともなく・・・・・。 そして・・・・・・時は動き出す。 |
2002・9・19
M・Hinase
★久しぶりに浸れました・・・・・桃雪ワールドv
これはキリ番でいただいたリクでしたが長くなったのでこちらでv
パラレルのようなそうでないようなSSですね;