| 【2.夢の続き】 「どうぞ。」 紅茶の入ったカップがテーブルの上に置かれる。 「え?・・あっ、ありがとう。」 桃矢はその声に庭を眺めていた目を、慌てて青年へと戻す。 彼はにっこり微笑んでいた。 うっかり入り込んだこの庭で出会ってから小1時間あまり、桃矢は青年に導かれるままに、お茶の席に着いていた。 庭の片隅、小さなテーブルに2つの椅子。 「僕が見えるの?」 そう嬉しそうに聞いた青年から目が離せずに、そして庭中に漂う百合の香りに惹かれるように・・・。 「紅茶、嫌いですか?」 なかなかカップに手を伸ばそうとしない桃矢に青年は少し顔を曇らせる。 「あ、ごめん。そうじゃないんだ、ちょっと色々あって・・・」 桃矢の返事に安心したように笑った青年は桃矢の向かいに座った。 「そうですよね・・・・驚かせてしまって。ごめんなさい。」 青年はぺこりと頭を下げる。 「あ、いや・・・謝るのは俺の方だから・・・」 桃矢も慌てて頭を下げてしまう。なんとも妙な感じだ。 くすくす・・・小さく青年は笑うと、変だね、と言ってまた微笑んだ。 その顔を見て桃矢も少し微笑む。 なぜだか、会って間もないのに、彼のこの笑顔が好きだと思った。人を包み込むような優しい笑顔をする・・・その顔が。ふたりは静かに笑い合った。 「百合の香りか・・・・すごいな。」 カップに口を付けながら桃矢は呟く。1種類の百合だけではない香りが混ざり合い風に乗って流れていく。 「でしょう? どのくらいの本数があるのか僕にも正確には分からないんです。」 「そんなに?」 「ええ、ここから見えるだけでも結構な数ですけど、まだ裏の方とか・・・少し前までは紫陽花が咲いていたのですけど、今は百合が盛りで。」 「花屋敷だな、まるで。」 感心したように言う桃矢の言葉に、青年は目を丸くする。 「くすくす・・・本当に。」 どうやら青年は笑い上戸らしい。ほんのちょっとしたことでも笑うし、微笑む。とてもそれが心地よかった。 会話のない時間が過ぎていく。 でもそれが重くなく・・・とても自然に。 ふたりでカップを手に庭を眺めていると、時の流れも感じない程に心が安らぐ気がした。風に揺れる百合が綺麗だった。 でも・・・・桃矢にはどうしてもひっかかることがあった。 「僕が見えるの?」 あれはどういう意味だろう。 普通、人と出会って出てくる言葉ではない。それにさっきまでは慌てて特に気が付かなかったが、この青年には何か感じるのだ。 桃矢は幼い頃から霊感が人一倍強い。見えなくていいものまで見える事や感じることが多く、あまりにもそういうことが多いためにもう慣れっこになってしまっている点もある。一般に幽霊と言われるものにもいち早く気づいたり。 ・・・・でもこの青年から感じるものは、それらとは違っていた。 彼が霊の類ではない事は確かだ。この家の敷地に入った瞬間、感じたものは神社や寺に足を踏み入れた時の清浄感に似ている。 ・・・・聞いてみようか・・・ そう思っては、躊躇した。 別にはっきりさせることでもないように自分には思えたし、そうすることでこの時間が損なわれるような気もしていた。 「あなたはどうして此処に来たの?」 青年がふんわりと尋ねてきた。 「散歩してたら入り込んでしまって・・・・あ、俺近くのペンションで合宿中なんだ。」 「合宿?」 「ああ、サッカー部の。」 「サッカー・・・」 「中学の時からずっとしてるんだ。」 「今・・・・・高校?」 「そう、1年。」 「同じ年くらいだろう? 学校は?」 「・・・・・行ってないんだ。」 病気か、何かだろうか・・・・桃矢は黙り込んだ青年を見つめる。 身体の線が細いのは確かだが、病弱そうには見えない。 桃矢は小さく溜息をつく。 ふんわりとした雰囲気に包まれていると思えば、時折誰にも触れられないような雰囲気を醸し出す。 そのアンバランスさに興味が募る。 「今までね」 ぽつりと青年が話し出す。 「僕、こんなふうに外の人と話したことなかったから。」 「外の人?・・・って」 「あなたのように此処に入り込んできた人、今までもいたけど・・・みんな僕に気付かずに出ていっちゃうんだ・・・目があったように思っても、何も見えないように・・・・だから、あなたが僕を見てくれて・・・・僕に話しかけてくれて・・・嬉しかったんだ。」 本当に・・・・と。 少しだ俯いて話す顔がさびしそうで、桃矢は胸が締め付けられるような気持ちに襲われる。彼にはいつも笑っていて欲しい・・・・そう思うから。 「別に・・・・俺には見えるから普通に。だから・・・・気にするなよ。」 「・・・・・ありがとう。」 青年はまた桃矢を見て嬉しそうに笑った。 どれくらい時間が経ったのだろう、少し陽が傾いていることに桃矢は気づいた。 先輩を振りきって出てきたままだ。もうそろそろ女子校との食事会もお開きになっているだろう。 それに今日は食事当番だったことを思い出す。 「そろそろ俺、帰るよ。」 「・・・・・うん。」 立ち上がった桃矢を見て、青年はさびしそうな顔をする。 「名前・・・・・何て言うんだ?」 「え?」 「名前・・・・」 青年は少し困ったように首を傾げる。 「・・・ああ、言いたくないなら別に・・・。」 「あ、違うんだ、そうじゃないけど・・・・・・その・・・・あなたの好きな呼び方で呼んで貰えると。」 「え?」 「・・・・・ダメかな。」 桃矢は苦笑した。何処までこの青年は自分を惹きつけるのだろう。 「変わってるな・・・・・・分かった。じゃあ」 桃矢は庭に目をやる。白く雪のように庭を覆っている百合を見る。 その時何となく頭の中に一つの言葉が浮かんだ。 「ゆき・・・・・・・ゆきって呼んで良いか?」 桃矢は振り向いて、青年を見つめた。 「ゆき・・・・・・うん、いいよ。素敵だ。」 ゆき・・・と、青年はもう一度呟く。 「じゃあ、決まりだな! ゆき、また明日も会えるか。」 「うん、あなたが来てくれるなら。」 「木之本桃矢だ。桃矢でいい。」 「・・・・桃矢・・・・綺麗な名前だね。」 「サンキュ、俺も気にいってんだ。じゃあ、ゆき、また。」 「うん。待ってる。」 またこんな時間が過ごせるなら・・・・。 桃矢が門の所でもう一度振り向くとテーブルの脇に立って手を振る姿が見えた。 明日も来よう、必ず・・・・。 そう桃矢は思った。彼のことをゆきのことをもっともっと知りたいのだという欲求がどんどん大きくなってくる気がした。 まだ今日出会ったばかりのふたりなのに・・・・・。 |